[PR]

 問題は「何をやっているのかわからない」と、読者はもちろん、社内外からも言われていることだ。発足して間もない、周知の途上だというのはわかるが、大事なのは目に見える成果を示すことだろう――と、朝日新聞の社説なら書かれそうなのが、現行のパブリックエディター(PE)制度ではないかと感じています。あなたはPEが何をしているか、ご存じですか?

    *

 私が就任して8カ月が経ちました。紙面についての読者の声をもとに、毎週一回、編集部門と会議をします。編集部門はPEからの問いかけに応答する義務を負います。「ご意見拝聴」では済まない――この仕組みを設計した中村史郎・初代社内PEは「不祥事が起こるたびに対応組織を立ち上げては時間の経過とともに形骸化してきた、そのサイクルを繰り返さないため」と強調します。PEと編集部門の意見が折り合わなければ、両者の意見を掲載して読者の判断に委ねる、そんな事態も想定されています。

 ただ、そこまでの事態はまだ発生していません。たとえば全米民主主義基金(NED)に関する5月18日の記事は、後日、見出しが「(NEDによる)水面下の支援」から「(中国の)圧力下の支援」と訂正されるなどしました。そこに至った経緯や判断を聞いた上での私の要望は「調査報道用のチェック機能強化」などというものでしたが、「持ち帰って議論する」と宿題になったまま、半年が経ちます。

 また、週一の会議だと、どうしても訂正記事が出た後にその顛末(てんまつ)を聞く形になります。10月22日に「年金 不適切な試算」との見出しで報じられ、後に「年金 支給割合高くなる計算法」と訂正された記事に関しては、版を重ねる中で徐々に紙面で強調されていった厚生労働大臣のコメントが、結果的に文脈の取り間違いだったことが報告されました。意見はしましたが、いかんせん一連の事態が収拾した後の話です。また、話を聞くのは主に編集部門幹部。デスクや記者ではないことで、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感を抱くこともあります。

 PEは2014年の吉田調書報道など一連の不祥事を受けて、読者の信頼回復のために導入された制度ですが、徐々に「外部コラムニストと変わらないのではないか」「お飾りと批判されても仕方ないのではないか」という疑問を持つようになりました。

 再生策を練る本社の「信頼回復と再生のための委員会」に関わった西村陽一・常務取締役によれば、PEの名称はニューヨーク・タイムズ(NYT)と同じですが、目指すものはまったく違うということです。ベテランジャーナリストが常勤で社内を自由に取材して回るNYTのPEに対して、朝日のPEはあくまで読者目線で意見する存在です。それでも、PEからゼネラルエディターとなっている中村氏は「編集側がPEと日常的に接し、議論をしている分、受け取っている緊張感は、あきらかに今までとは異なる」と言います。

 現状が完成形だと言う人はいません。私や同じPEの小島慶子氏の感想では「編集部門にPEの存在を知ってもらい、ヒアリングなどの協力を得やすくする」というプロセスの途上です。平たく言うと「PEは敵ではない。協力して、読者の信頼を取り戻そう」という雰囲気づくりの途上なのだと感じます。

 会社組織の中で私たちのような「よそ者」が一定の役割を果たすためには、敵対者でも攪乱(かくらん)者でもない、と認定される必要があります。編集部門が「おまえに何がわかる」と思っているうちはPEの意見に耳を貸さない、というわけです。私たちと編集部門の間に立つPE事務局の苦労は、主にそこにあるようだと小島氏は指摘します。

 他方、力の使い方が内向きすぎると「読者の信頼回復」という本来の目的が果たせません。読者は会社の外にいるからです。その点、マスコミ報道の検証を行うウェブサイトGoHooを運営する一般社団法人日本報道検証機構の楊井人文代表は「発足して2年が経とうとしている。もう『日本初の試みだから、当分は温かい目で』というのは通用しないのではないか」と懸念を示します。

    *

 読者の信頼感を増すためには、読者が自分の声が届いた実感を得られる必要があり、そのためには私たちPEが「読者の声を起点に、こう問題を提起し、結果こうなりました」と報告できることが望ましい。2017年は、現在の月一回の輪番コラム以外にソーシャルメディアの活用や意見交換の経緯の出し方を模索・構築する一年とし、そのこと自体を読者の声を起点に構築したい。あなたが、読者の信頼回復ツールとしてのPEに求めるものは何ですか?

    ◇

 ゆあさ・まこと 社会活動家、法政大学現代福祉学部教授。1969年生まれ。2008年末に「年越し派遣村」村長。著書に「反貧困」など。

 ◆原則、第3火曜に掲載します。

こんなニュースも