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 朝日新聞社は、日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)と協力して、パラスポーツの支援を進めます。まずはパラサポが新たに構築する、障害のある人とパラスポーツとを結ぶマッチングサイトの制作資金を募ります。クラウドファンディングサイト「A―port(エーポート)」に専用ページ(https://a-port.asahi.com/partners/paraspo/別ウインドウで開きます)を開設しました。

 ■すぐ始められる環境を 競泳・一ノ瀬メイ選手(19)

 生まれつき、右腕のひじから先がないんです。左手一本あればたいていのことはできるし、不便を感じたことはない。障害じゃなくて特徴だと思っています。

 物心つく前から、家の近くにあった京都市障害者スポーツセンターに両親と通って、泳ぐようになりました。7歳の時、同センターの職員で、パラリンピックの競泳日本代表監督だった猪飼聡さんに「同じ障害の山田拓朗という選手が13歳でアテネ・パラリンピックに出るよ」と教えてもらい、パラリンピックを知ったんです。

 初めて出場した去年のリオデジャネイロ大会は、周囲の期待に自分のペースが乱れてしまったと思っているんです。全く知らない人に応援してもらうなんて、今までなかった。うれしかったけど慣れていなくて、力に変えられなかった。

 みんなから、メダルが取れるというイメージを持たれていたけれど、実際の自分は中身がすかすかで、イメージが先行していることが、すごくしんどかった。

 今は自分がやるべきことというか、実力はこれから追いついてくればいいのかなって思っています。東京大会に向けて、近畿大で水上競技部の選手と一緒に泳いでいます。50メートルの屋内プールもあるし、すごくいい練習が続けられています。

 でも、昔はこんなに恵まれていませんでした。小学校3年の時、地元のスイミングスクールの一般の選手コースに申し込んだんです。そうしたら、「障害者向けコースがあるから、そちらに」と断られました。健康のためとか、水泳を楽しむとかということではなく、本格的に泳ぎ込みたかった。何でも自分で出来るからってお願いしたけれど、だめでした。

 私は水泳のことしかわからないけど、選手が育つには、競技を始めたいと思った子がすぐに始められる環境が大事。リオ大会の代表選考会もそうでしたが、種目によっては選手が足りなくて予選ができず、いきなり決勝という状態なんです。選手層が厚くならないと、国内のレベルは上がっていきません。

 今回のサイトが完成したら、挑戦してみたいという人たちにとってはすごく便利だと思います。これまで、どこでどんなスポーツができるのかを調べるのさえ、大変だった。パラスポーツに親しむ人が増え、世界で戦える選手の発掘・育成にもつながってほしいなと思います。

 (聞き手・松沢憲司)

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 いちのせ・めい 1997年3月、京都市出身。中学2年だった2010年、中国・広州のアジアパラに史上最年少の競泳女子日本代表として出場し50メートル自由形で銀。昨年のリオデジャネイロ大会は初めてのパラリンピック。個人6種目を泳いだ。

 ■知る機会、もっとあれば 車いすラグビー・島川慎一選手(41)

 昨年9月のリオデジャネイロ・パラリンピックで、銅メダルを取ることが出来ました。競技を17年ほどやってきて、4度目のパラリンピックで初めてのメダル。金メダルを狙っていて、金は取れずに悔しかったけど、やっと形になったなという感じでしたね。

 21歳だった1996年、仕事中の交通事故で頸椎(けいつい)を損傷しました。四肢にまひが残る障害を負いました。熊本の病院に入院していた事故直後は、何も考えたくなかった。現実逃避したいというか、そんな気持ちでした。そんな時、病院の一角で車いすに乗って陸上に励む人たちをたまたま見たんです。「レーサー」と呼ばれる陸上競技用車いすの格好良さにもひかれ、自分も始めました。大分国際車いすマラソンにも何度か出たんですよ。

 ラグビーとの出会いも偶然でした。知人に誘われて99年、大分での試合を観戦しました。激しくぶつかり合う迫力に心を動かされました。車いすの人が車いすの人を倒して、「よくやった」と言われる。それが面白そうでしたね。最初は戦術なんか二の次で、ひたすら走ってひたすらぶつかっていました。

 陸上ともラグビーとも偶然に出会えましたが、僕が事故に遭った時代には、ほかの競技のことを知る機会はなかった。今はラグビーが自分の「天職」だったと思えますが、当時からもっと他の競技を知る機会があれば、もしかしたら違うスポーツをやっていたかもしれません。射撃なんか興味がありますね。

 例えば海外の車いすラグビーの代表チームには、生まれつき四肢の一部が欠損した選手も多いが、日本にはいないんです。事故に遭った人だけでなく、病気や先天的に障害のある人たちにパラスポーツのことを知ってもらう機会が日本では少ない。このサイトが、そういう方たちと競技の出会いの場になったら素晴らしいですね。競技人口の増加、競技の活性化にも確実につながる。

 1月29日に42歳になりますが、東京パラリンピックまでは現役でやろうと決意を固めました。リオ大会後、初めてパーソナルトレーナーを雇い、すでに昨年末から始動しています。来年シドニーである世界選手権の予選を兼ねた国際大会が今年の秋にあり、代表選考合宿もすでに始まりました。東京で今度こそ金メダルを取れるよう頑張っていきます。

 (聞き手・平井隆介)

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 しまかわ・しんいち 1975年1月、熊本県出身。パラリンピックには2004年アテネ大会から16年リオ大会まで4大会連続出場。05年、埼玉県所沢市を拠点としたチーム「BLITZ」を自ら立ち上げ、現在も所属する。

 

 ■関心や居住地で検索、最寄りチームの情報 4月オープンめざす

 日本財団パラリンピックサポートセンターは、2020年東京パラリンピックの成功とパラスポーツの振興を目的に、15年5月に設立された。ボッチャなど31の競技団体に普及啓発費などを助成したり、国際競技団体とのやり取りのために翻訳の補助をしたりしている。

 今回、パラサポが立ち上げを目指すのは、障害の種別や程度、やってみたいパラスポーツや居住地を入力すると、最寄りの施設やチームが分かるサイト「マイパラ Find my Parasport(仮称)」だ。現在もパラスポーツができる施設を調べるホームページはあるが、チームや体験会の情報とは連動しておらず、これらを一体で調べられる内容だ。4月のオープンを目指す。

 ■裾野の広がりや選手発掘、期待

 発案したパラサポのプロジェクトリーダー、前田有香さんは「パラスポーツを始めたいと思った人やサポートしたい人が、身近にあるチームに参加しやすくなり、パラスポーツの裾野が広がる」と期待する。マイパラを通じて把握されるデータを参考にして障害別の体験会を各地で開くなど、効率的な選手の発掘も可能になる。

 日本財団ビル(東京都港区)にあるパラサポの事務局用スペースにはいま、28の競技団体が入居。20年の東京大会後は、各団体が自立して運営できるようになることを目指しており、前田さんは「スポーツをしたくても情報のない人がいて、競技人口を増やしたくても人手が足りない団体がある。マイパラの構築が、現状を打破する第一歩になる」と力を込める。

 ■アイデア実現をサポート

 <A―port> 朝日新聞社が運営するクラウドファンディングサイト(https://a-port.asahi.com別ウインドウで開きます)。クラウドファンディングとは、インターネットでアイデアを提案し、「実現させたい」と応援してくれる一般の支援者から広く資金を集める仕組みで、支援者は金額に応じた特典がもらえます。詳しくはサイトで。

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 【支援に関するお問い合わせ】

メール call@a-port-mail.com

電話  03・6869・9001

 (祝日を除く月~金曜の10時~17時)

 【起案に関するお問い合わせ】

上記サイトから

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