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 (平成23年)

 「朕(ちん)は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび…(中略)…帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」。ガラス越しに天皇の御璽(ぎょじ)と「裕仁」の文字。吉田茂首相ら内閣15人の署名が続く。東京都千代田区の国立公文書館は、春の特別展「誕生 日本国憲法」で所蔵する日本国憲法の原本を公開した。

 マッカーサー憲法草案など60点を展示。「憲法が今の形になるまでを丹念にたどりました」と首席公文書専門官の小原由美子さんは話す。

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 2011年に公文書管理法が施行されるまで、政府には公文書を扱う統一ルールはなかった。「情報公開の初期は文書の不在との闘いでした」。全国市民オンブズマン連絡会議事務局長の新海聡弁護士は振り返る。1982年に山形県金山町が全国初の公文書公開条例を施行。半年後、神奈川県が続き、公文書への注目が集まった。

 1990年代半ば、新海弁護士は官官接待と領収書改ざんによる行政の裏金づくりを追及した。「みんなで全国の自治体へ領収書の公開請求をした。領収書は用紙の種類や筆跡で改ざんが分かるが、多くの自治体で1年たつと破棄され、後追いできなかった」

 国レベルの情報公開法の施行は2001年。薬害エイズ問題への批判と反省が後押しした。「明治以来、行政機関への『お願い』に過ぎなかった情報公開に初めて開示請求権が認められた。誰でも公文書にアクセスできるようになった」と長野県短期大の瀬畑源助教(社会学)は語る。

 いっぽうで、官僚たちが開示請求を嫌って公文書を廃棄する動きも伝えられた。だが、実態は分からない。NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長は04年、各省庁が業者と交わした契約内容を開示請求し、溶解・破砕処理後の機密文書を含め、リサイクルなどで業者に渡った各省庁の文書の総重量を算出した。

 その結果、2000年度の農林水産省は前年度に比べて約21倍の233トン、02年度の文部科学省は12倍の2・6トンに、廃棄文書の重量は急増していた。「情報公開法ができ、行政機関に任せると捨てるんだと数字で可視化できた。廃棄選別に規定を設けないと文書が残らないことが分かった」と三木さんは話す。 情報公開法は、省庁の資料は原則公開と定めた法律で、公文書の内容などによって保存期限も定めた。ただ、期間満了後の廃棄は各省庁任せだった。薬害肝炎患者リストの放置や年金記録がきちんと管理されていなかった問題が発覚し、公文書の保存の仕組みが検討されることになった。福田康夫内閣(07~08年)で公文書管理の立法化が進み、次の麻生太郎内閣で公文書管理法は全会一致で成立した。公文書は国民共有の知的財産となったのだ。

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 すべての公文書は保存が前提で、保存期間満了後も首相の同意がなければ廃棄できなくなった。国立公文書館への移管率は同法制定時1%以下。信州大の久保亨教授(中国近現代史)は「英国の移管率は5~7%。明治政府は上野に図書館や博物館はつくっても文書館はつくらなかった。文書を残すのは歴史を残すこと。その責任が根付いていない」と言う。

 「南スーダンPKOの日報」「森友学園への国有地売却」などの問題からは、保存期間1年未満の文書を廃棄できる「抜け道」が浮かび上がった。「こうした問題も、公文書管理法があるからこそ明らかになった」と瀬畑助教はいう。「官僚や政治家は情報を出したがらない。情報は権力です。出さないなら求め続けなければいけない。情報がとれないなら国民は主権者とはいえません」

 (三ツ木勝巳)

 ■情報の入手、民主主義の原点 元首相・福田康夫さん(80)

 1980年代半ば、知人から前橋市内の戦争被災時の航空写真が欲しいと相談を受けた。日本では見つからず、米国の国立公文書館にありました。立派な建物の中できちんと整理保存してある。それが公文書管理に関心を持った最初でした。

 官房長官の時、必要性を感じて研究会で検討を始めると、政府に公文書保存の統一ルールがなかった。例えば、国の骨格を形作る法律は、資料がないと立法過程や趣旨が分からない。公文書はそういう大事な資料なんです。保存文書が事実の積み重ねとなり、国家になるのです。

 外交では、首脳同士がちょっと腰掛けて通訳だけを交えて話す時もメモをとる。そのメモがどこにあるか分からず、数十年後の係争の元になったこともある。90年代の薬害エイズ問題では、厚生省のロッカーに資料が埋もれていたこともあった。それぐらい日本では公文書の管理は軽んじられていたのです。

 2007年に年金記録問題が明らかになり、その年総理大臣になって、それまでの研究を踏まえ、公文書管理の法制化をやろうと言いました。国民が正しい判断をするために正しい情報を入手できるかは民主主義の原点。公文書は不当な政治介入も排除できる。「記録に残りますよ」と言えば政治家もむちゃなことは言えませんよ。

 ■国立公文書館

 東京都千代田区に1971年設立された。歴史的に重要な公文書を保存する施設。「大日本帝国憲法」「日本国憲法」のほか、各省庁作成の文書のうち、歴史的に重要なものや最高裁が保有していた文書も所蔵。所蔵資料は約140万点。書庫の満杯が近いため、同じ区内の憲政記念館の敷地に同館と一体化した新国立公文書館の建設計画が、検討されている。茨城県つくば市に「つくば分館」がある。

 ■公文書等の管理に関する法律(公文書管理法)

 2009年6月成立。11年4月施行。政府が保存・公開すべき文書について「行政機関の職員が職務上作成・取得した文書で、組織的に用いるものとして保有しているもの」と定義。立法や政策形成の過程なども含めた文書の作成義務も定めた。役所の判断で不都合な公文書が捨てられないよう、廃棄には首相の同意が義務づけられたほか、職員のメモ類も政策形成に影響を与えた場合は公開対象となる。

 ◇次回は「樹木葬」の予定です。

 <訂正して、おわびします>

 ▼24日付「あのときそれから 公文書管理法の施行」の記事で、国立公文書館の小原由美子さんの肩書が「主席公文書専門官」とあるのは「首席公文書専門官」の誤りでした。変換ミスを見落としました。

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