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 終戦から72年。この夏も各地で戦没者を追悼する集いがあった。広島、長崎の被爆者に沖縄戦や空襲の被害者。民間人を戦争に巻き込み大勢の犠牲者をうんだ惨劇として、戦時徴用船の記憶も後世に語り継ぎたい。

 海運会社の商船は国家管理となり、日本軍の作戦に沿って兵士や武器、軍需物資の輸送にあてられた。

 船員もともに動員され、十分な護衛もないまま、危険な海域での任務を強いられた。「丸腰」の船は米軍の潜水艦や飛行機の標的となり、多くが雷撃や爆撃で海中に沈んだ。

 神戸港のそばに、「戦没した船と海員の資料館」がある。徴用船の悲劇を伝える「海員不戦の誓い」の場にと、全日本海員組合が17年前に開設した。

 終戦の日、資料館で戦没船員の慰霊式が開かれ、元船員や遺族らが黙祷(もくとう)を捧げた。

 森田保己(やすみ)組合長は式典で「もう二度と国家の徴用や類似する要請によって危険な場所に行かない、行かせない、と心に刻みたい」と語った。

 東京から参列した飯田尚世(ひさよ)さん(80)の父、眞柳照乎(まやなぎてるお)さんは1944年、機関長として乗務した徴用船「崙山丸(ろんざんまる)」が鹿児島県徳之島沖で米潜水艦の魚雷を受け、戦死した。36歳だった。

 眞柳さんは神戸高等商船学校(現・神戸大海事科学部)を卒業後、あこがれの外洋航路の船乗りになった。神戸の自宅に戻るとよく、洋楽のレコードを聴いていたという。

 今年2月、飯田さんは命日にあわせて徳之島沖の海上へ行った。父の好物だったコーヒーを波間に注ぎ、「悔しかったでしょう」と声をかけた。

 飯田さんの孫で上智大生の松本日菜子さん(22)は1年前、親類らにインタビューを重ねて「軍属だったひいおじいちゃん」という映像作品を作った。ナレーションでは「もし戦争がなかったら、もし軍属でなかったら、彼は世界中の海を回っていたのでしょうか」と語る。

 資料館によると、戦争中、7千隻超の民間船舶が失われ、戦没した船員は約6万600人。船員の死亡率は推計で43%にのぼり、2割ほどとされる陸海軍人を上回る犠牲をうんだ。

 中国大陸から東南アジア、南洋諸島まで日本は戦線を拡大する一方、軍事物資の補給・輸送は民間を動員して解決しようとした。大勢の戦没船員は、無謀な国策が招いた被害といえる。

 戦争ではしばしば民間も「協力」を迫られ、犠牲を強いられる。過去の出来事ととらえず、歴史の教訓としたい。

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