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 安倍政権がないがしろにしてきたもの。そのひとつに、国民の「知る権利」がある。

 政府がもつ情報の公開を求める権利は、国民主権の理念を実現し、民主主義を築いていくうえで欠かすことができない。

 だが政権は、森友・加計学園問題で、政府の記録を公開する考えはない、破棄済みで手元にない、そもそも作成していないの「ないない尽くし」に終始した。PKO日報をめぐっても重大な隠蔽(いんぺい)があった。

 自民党が5年前に発表した憲法改正草案は、「知る権利」について「まだ熟していない」として条文に盛りこむのを見送った。後ろ向きの姿勢には疑問があるが、一方で「国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う」との規定を、新たに設ける考えを示している。

 この草案に照らしても、政権の行いは厳しい非難に値する。

 情報公開法の制定から18年になる。熟したか熟していないかの議論はともかく、大切なのは知る権利が確実に保障される社会をつくること。具体的には、情報隠しができないように法令を整備し、制度をみがき、行政にたずさわる人々の意識と行動を変えていくことだ。

 だが、自民党の衆院選公約には「行政文書の適正な管理に努める」とあるだけだ。公明党も同様で、与党として、一連の問題に対する深い反省も、改革への決意もうかがえない。

 希望の党は、知る権利を憲法に明確に定めることを公約にかかげる。しかしこれも、同党を率いる小池百合子・東京都知事が五輪会場の見直しや築地市場の移転をめぐって見せた行動を思いおこすと、眉につばを塗る必要がある。

 「敵」と位置づけた元知事らにとって都合の悪い情報は、たしかに公開した。だが自らの判断については、そこに至った根拠や検討の経過、描く将来像などの説明に応じなかった。

 市民が情報にアクセスし、それを手がかりに行政を監視し、考えを深めて、より良い政治を実現する――。そんな知る権利の意義を本当に理解しているのか。政略の道具にただ利用しただけではないのか。

 旧民主党政権のとき、知る権利を明記し、開示の範囲を広げる情報公開法の改正案が閣議決定されたが、成立に至らなかった。その流れをくむ立憲民主党や、「抜本改革が必要」と唱える共産党は、実現に向けてどんな道筋を描いているのか。

 各党の主張や姿勢を見極め、投票の判断材料にしたい。民主主義の明日がかかっている。

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