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 北九州空港から東九州自動車道に乗り南下すること約30分、左にミカン園が見えてきた。

 ここはミカン農家の岡本栄一さん(71)が買収に応じず、唯一未開通だった区間。福岡県が強制収用し、園を分断して昨春、宮崎市まで全線開通した。

 2年前、大みそか付の社説に岡本さんのことを書いた。久々の再会。当時は「怒」のエネルギーに満ちていたが、なんだろう、「惑」の気配が濃くなった。

 ■排除された「異物」

 「今年は出来が悪くて」。木の乾燥が激しいのは、地下の水脈が切られたからだと思うが、確たることはわからない。道路付近では猟銃が使えなくなり、鹿の食害も激化した。わな猟の免許を取ったが、効果はわからない。理由はわからないが注文と違う品種の苗木が届く。文句を言うと「ミカンなんか植えんでも高速道路の補償金をもらえばいい」と返されたという。

 「分断されたらもう、あちこちがおかしくなって」

 この土地で50年、甘いミカンを作るためにこつこつと手入れし、築きあげてきた世界がきしきしときしみ、すっかり見通しがきかなくなってしまった。

 その痛苦はどうすればあがなえるのか。岡本さんは18年間反対を貫き、約1億7千万円の補償金の受領もずっと拒んできたが、先月、うち数千万円を受け取った。園が二分されて作業効率が落ち、借金が膨らみ、どうにもならなくなったという。

 ――そうでしたか。受け取る時、どんな心境でしたか?

 一瞬、身体をこわばらせたのち、残る補償金のうち3千万円ほどを使って、公共工事を改革するための基金をつくるつもりだと、今後の構想を語った。

 ――あの、どんな心境……。

 なんでそんなこと聞くのよぉと、うつむく。ごめんなさい。でもわからないんです。なぜ岡本さんがこんな目に遭うのか。父親から受け継いだ土地を守りミカンを作り続けたかっただけなのに、その思いを大事にし過ぎたということなのか――。

 「わからん。自分のことは、わからんよ」

 全線開通による時間短縮効果は約10分。「人や物の流れがスムーズになる」とうたわれる。

 スムーズになる。「異物」が排除されれば、それは、確かに。

 ■預けられた「私」

 精神科医で立教大教授の香山リカさんは最近、診察室を訪れる若者の変化を感じている。

 「つらいんです」。どういう風にですか?と聞いても、「つらいってことです」。

 単調なやりとりが増え、「この感じがとれる薬ください」と、カウンセリングより手っ取り早い薬物療法を望む人も目につくようになった。自分の内面を掘り下げ言葉で表現する力が落ちているように思う。

 大学で学生たちと接していても、「『私』をどこかに預けている感じがする」という。

 ――なぜ預けるんでしょう?

 「自分の弱さと向き合うのはとても苦しいことだから、でしょうね」

 それと対をなすのが、今年の流行語大賞に選ばれた「インスタ映え」なのだろう。言葉や中身ではなく、かわいい、おいしそう、楽しそうな「映える」写真と「いいね!」の数が「私」の輪郭をかたどる。言葉を介するよりもきっとずっとスムーズに「私」は他者とつながれる。

 なるほど、言葉で説得しようという意思を欠く一方、「看板」や「包装紙」のデザインに傾注するいまの政治のありようは、この時代に適合的と言えるのかもしれない。もちろん、それを「政治」と呼ぶか「集客」と呼ぶかは、別の問題としてある。

 ■社会的想像力を

 「私」を掘り下げられないなら「私たち」を掘り下げるのも難しい。かつては大事件が起きれば、社会が生んだ犯罪かもしれないと、漏れ伝わってくる容疑者の「声」に耳を傾け、時に想像力を使って、背景を理解しようとする「作法」があった。

 しかし、秋に発覚した座間の事件。昨年、相模原で起きた事件。自分とは別世界の「異物」が引き起こしたものと、簡単に切り捨ててはいないか。「死にたい」というつぶやきを、「障害者は生きていても仕方がない」という、社会への「挑戦状」を、私たちは真正面から引き受け、考えてきただろうか。

 精密な受信器はふえてゆくばかりなのに/世界のできごとは一日でわかるのに/“知らないことが多すぎる”と/あなたにだけは告げてみたい

 (茨木のり子「知らないことが」)

 社会的想像力が弱れば、負担を押し付けられた人は押し付けられたまま、ブラックボックスはブラックボックスのまま、力を持つ人の声だけが響く、それはそれでスムーズな社会が現出するだろう。

 2017年が終わる。

 聞かなかった、聞けなかった数多(あまた)の声に思いをはせる。来年こそはと、誓ってみる。

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