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 日本経済は昨年、いくつかの指標が「バブル期超え」を記録した。東京・銀座の土地の値段。人手不足を示す有効求人倍率。日経平均株価も、1989年末のピークには遠いものの、92年の水準を回復した。

 バブル崩壊後、資産デフレを刻み続けた地価と株価。実体経済の低迷を映し出した雇用。その両面で、数字は戻った。私たちは今、どこにいるのか。

 ■数字は同じでも

 東京・銀座の光景は、この30年で大きく変わった。

 バブル期は、銀行の支店が軒を連ねた。銀座街づくり会議の竹沢えり子事務局長は「午後3時に閉まる銀行は、街のにぎわいにはマイナス。当時、銀座通連合会は、閉店後もシャッターを下ろさないでと要望書を出した」と振り返る。

 その銀行の跡地に、海外の有名ブランドが進出。ファストファッションや携帯電話の店舗も立ち並び、外国からの観光客らが次々と訪れる。グローバル経済の勢いを取り込んだ街に、人の波とおカネが流れ込む。

 雇用をめぐる数字の意味も、かつてとは異なる。低迷を続けてきた就業者数は12年を底に反転し、16年までに185万人増えた。だが、86~90年は同じ4年間で396万人の増加だった。背後には当時の人口の伸びがあった。

 大勢の若者に、それ以上の仕事があった時代から、人口減の中で人材を奪い合う時代へと、様変わりしている。

 この30年間には、様々な制度改革も進んだ。

 金融システムは、不良債権処理の先送りで問題を大きくした揚げ句、荒療治を強いられた。護送船団行政の時代は終わり、メインバンク制も弱まった。

 規制緩和が進み、政官業の「鉄の三角形」は緩んだ。新たなビジネスモデルを見いだせなかった名門企業が舞台を降りる一方で、新興企業が生まれた。

 政策も大きく振れた。バブル崩壊後の巨額の公共投資。そして近年の大胆な金融緩和。功罪の議論は続くが、実験的な政策をも迫る経済状況があった。

 ■「後ろ向き」脱せるか

 こうした試みを経ても凍り付いたままに見えるのが、企業家精神だ。バブル期以上の利益を上げながら、賃上げや投資に慎重で、カネをため込む傾向が続く。人口減少が懸念材料とはいえ、後ろ向きの姿勢が際立つ。

 日本銀行の古賀麻衣子氏らは最近の論文で、バブル期以降の日本企業の投資行動を分析。過去に資金繰りに困った経験を持つ企業ほど、将来の成長を低く見積もる偏りがあり、設備投資や研究開発への支出を抑える傾向にあると論じている。

 過去の一時的なショックが持続的に影響を与えることを「履歴効果」と呼ぶ。失業した労働者が、技能を蓄積する機会を奪われるといった現象もそうだ。

 日本経済の実力を示す潜在成長率の推計値は、90年代半ば以降下がったままだ。実力程度は発揮できるようになってきたが、実力そのものが伸びなければ、ここで頭打ちになる。

 生産性向上を掲げてきた安倍政権も、目立った成果は出せていない。何が障害になっているのか、見極めが欠かせない。

 ■成長と分配の両立を

 コスト削減に邁進(まいしん)してきた企業の行動は、賃金と雇用に大きな負の影響をもたらした。だが最近、非正規社員の正社員化を進める企業が増えてきた。人手不足や「働き方改革」が背景にあるが、それだけではない。

 「経営環境の変化が速いなかで会社の成長を考えれば、人材の可能性を引き出すことに集中すべきだ。そのためには処遇格差をなくしたほうがいい」。全社員を正社員にしたクレディセゾンの松本憲太郎・戦略人事部長はこう説明する。

 かつて株主重視経営の旗を振ったオリックスの宮内義彦氏は、最近の朝日新聞のインタビューで次のように述べた。「人はモノやカネとは違う。最大限の配慮が必要だ。経済活動は人に奉仕するために存在する」「次の時代は、より分配に力を入れた社会をめざすべきだ」

 30年間に多くの犠牲を払ったが、学んだことも少なくない。

 過剰な楽観に踊ったツケは、いつか回ってくる。だが、萎縮を続けても展望は開けない。

 「安く、速く、便利に」という効率化は大切だ。だが、働き手が疲弊すれば社会がきしむ。

 「何事もバランス」といえばありきたりではある。しかし、その凡庸さに耐え、成長と分配の両立を意識しながら修正を続ける意思こそが試されている。

 デフレ脱却を果たし、「バブル後」が終わったとしても、そこには高齢化と人口減が急速に進む未踏の領域が広がる。世界経済の中での存在感は薄れ、財政・金融政策の余力は減っている。前途は容易ではない。

 新しい技術や産業の芽を伸ばし、苦闘の経験を大事にしながら、着実に前に進んでいくしかない。

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