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 スマホが世に広まって10年。今や多くの人々の身近な道具になったが、そこには便利さと危うさが同居している。

 便利さは言うまでもない。電話やネットの会話、ゲームなどいろいろなことができる。

 とりわけ最近は世界各地で、あらゆる支払いができるキャッシュレス化が進んでいる。

 ■人間の信用を点数化

 代表例がお隣の中国だ。

 買い物、食事、航空券購入、資産運用、友人への祝儀。すべて画面の操作で済む。北京や上海から農村部まで普及し、大手2社のサービスを延べ12億人が利用している。

 その情報をもとに個々の「信用度」を点数化した仕組みがある。まじめな利用者はホテル宿泊など様々に優遇される。

 歩調を合わせるのが中国政府の「個人信用情報管理」だ。決済トラブルがあった人は飛行機に乗れない、禁煙ルールを破れば高速鉄道の切符を買えない、などの例が起きている。

 政府と企業を含む情報の一元化が進んでいるため、ちょっとした失敗がもとで社会システムから排除される恐れがある。

 ジョージ・オーウェルの小説「1984年」が描く監視社会が現実化したかのようだ。

 オーウェルが登場させたのは住居の中にあって人の動きや声を把握する「テレスクリーン」という不気味な画面だった。

 ネットはそれ以上に、国家による監視の強力な道具となる。2013年、スノーデン氏が米国家安全保障局の内情を暴露したことは記憶に新しい。

 米政府はテロ対策を名目に大手ネット企業を協力させ、あらゆる情報を集めた。国内のイスラム教徒の私生活を探ったり、メルケル独首相の携帯電話を盗聴したりしていた。

 中国でも、ネット監視は徹底している。政権批判をソーシャルメディアに書き込めば、すぐ削除され、身柄拘束される。

 しかし消費行動に限れば、市民はむしろ自由を享受するようになった。利用履歴を通じて監視されようが、行儀よく過ごしていれば不都合はない。多くの人が、そう考えている。

 ■体制の違いを超えて

 クレジットカードを使う。ポイントをためる。ICカードで電車やバスに乗る。友人と会話し、「いいね!」を押す。人々は日々、足跡をネットに残す。その情報を企業が集め、効果的な広告と商品開発に生かす。

 日本でも個人の信用度を点数化する新サービスをネット金融会社が始めた。学歴、年収から生活上の好みまで多くの情報を入れると点数評価が表れ、融資限度額や利率が算出される。

 政府による情報技術活用の代表例は納税システムだ。日本ではマイナンバー制度への抵抗感が根強いが、他国のペースは速い。エストニアでは、納税者の給与、住宅ローン、寄付、株式売却額といった個人情報を国税当局に集める仕組みが整い、本人はスマホで申告できる。

 かつてロシア革命は、社会主義体制の国ソ連を生んだ。その50年後の1967年、国際経済学者ガルブレイスが米国とソ連の経済を比べ、分析した。

 米国の企業が、技術の進歩で巨大化した結果、国家を巻き込む産業の組織化・計画化が進んでいた。つまり米ソが同質化しているという発見だった。

 さらに50年が過ぎた今、情報技術の活用もまた、国や体制の違いを超える。電子情報の把握を通じ、一人ひとりの市民を組織化する。中国がためらいなく進んだ今日の姿が、日本の明日でないとは言い切れない。

 ■説明責任問い続ける

 13年にJR東日本がICカードの乗降履歴を外部に売ったことが問題化した。個人の名前は消したが、生年月情報などが残っていた。データ集めに対する企業の貪欲(どんよく)さが垣間見えた。

 15年に改正された個人情報保護法は、プライバシー保護と企業による情報活用の両立を目指す、とされた。ただ、技術の進化とともに両者がぶつかる問題は避けられないだろう。

 政府には個人情報を守る責務があるが、捜査機関による逸脱行為はすでに散見される。米国などのように、特定の市民の動きや通信を網羅的につかもうとする事態も否定できない。

 自分の情報がどこでどう使われるか、市民が知るすべは乏しい。中国のように、監視の結果としての人権侵害や排除、差別は、いつ起きるとも限らない。

 全体から見れば少数の問題に見えるかもしれない。だが、そこに敏感に反応する市民社会の人権感覚こそが、見えない監視に対する抑止になりうる。

 個々の市民が政府と企業に説明責任を不断に問い、メディアは権力監視を怠らない。ネット社会の健全な民主主義を支えるにはそれが必要だ。

 暮らしの中でネットの役割は今後さらに増していくだろう。その便利さの裏に、個人の尊厳にかかわる問題も潜んでいることを忘れずにいたい。

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