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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 秋田高校(秋田市)の応接室には、1915(大正4)年8月24日付の大阪朝日新聞が飾られている。103年前、全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権)として始まった夏の大会で、同校(当時秋田中)の準優勝を伝える紙面だ。

 主将の湊壮矢(17)は、「この学校に進学したいと思った中3の秋ごろ準優勝のことも知り、すごいと感じた」と話す。部員に「『大正』で思いつくこと」を尋ねると、「大正デモクラシー」(1910~20年代)や「第1次世界大戦」(14~18年)、「米騒動」(18年)、「治安維持法制定」(25年)などの声が返ってきた。湊は「どんな世の中で、どんな選手たちだったのだろう」と語る。

 15年8月の大阪朝日新聞をめくってみる。試合を文語体で報じる記事の隣で、夏目漱石は小説「道草」を連載中。前年始まった第1次大戦で、既に日本はドイツに宣戦布告していた。ウラジオストクの在留邦人・片岡芳治ら3人がロシア軍に義勇兵として従軍。ワルシャワ戦線で片岡が負傷したとする記事(8日付)が目を引いた。

 その3日前には「阪(原文ママ)本龍馬を殺害した老剣客/悔恨の情に責(せめ)られて逝(ゆ)く」の見出し。15年1月に73歳で没した京都の元道場主の渡辺篤が「勤王の志士阪本龍馬、中岡慎太郎を京都河原三條(じょう)下る客舎に襲(おそ)うて暗殺したは斯(か)くいふ自分等(ら)の所為であった」と告白する遺書を残していたとする。明治維新から半世紀足らず、老人たちには幕末の記憶が残っていた。

 大戦特需で景気は上昇中。統計によれば、同年末に国内の自動車は合計1244台の一方、人力車は12万3776台――。

 そんな時代の決勝は延長十三回、京都二中(現鳥羽)のサヨナラ勝ち。その瞬間の写真中央に秋田中の捕手で主将・渡部純司が写る。同校の快進撃は、1通の手紙がきっかけだった。

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 今夏100回を迎える大会を通じ、日本の近現代を見つめます。=敬称略(編集委員・永井靖二)

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