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 未明の街を襲った阪神・淡路大震災から17日でまる23年となった。失われた6434人の命を無にしないため、惨事の記憶と教訓を次世代へ継承する営みを粘り強く続けたい。

 神戸市中央区の東遊園地には、亡くなった人の名を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」がある。17日に、遺族や市長らが追悼の言葉を述べる場だ。

 その銘板の横で昨年末、「あほ」「ばか」などの落書きが見つかった。誰が何のためにやったかはわからない。被災者を傷つける許せない行為だ。

 「1・17のつどい」の実行委員長は「ここがどんな場所か知らず、想像もしなかったのだろう」といい、体験継承の取り組みが「伝わっていなかったのか」と深刻に受け止めた。

 広場では、2年前から公募で決めた文字を竹灯籠(どうろう)で描いている。今年は最も多かった「伝」。風化が進み、人の記憶から忘れ去られることがないよう、伝えたい。そのために何ができるかを考える狙いだ。

 今、神戸の街並みから被災の痕跡を見いだすことは難しい。震災後に生まれたり転入したりしてきた市民は4割を超えた。市役所では職員として震災を経験していない人が半数以上を占める。それでも被災地が抱える問題には敏感でありたい。

 災害復興公営住宅では、昨年、誰にもみとられずに「孤独死」した人が64人いた。平均年齢は75・3歳。同住宅での孤独死は計千人を超す。被災者以外の人も含まれるが、身寄りと死別し、地域とのつながりを失ったお年寄りも少なくない。

 灘区の災害復興公営住宅内にある「ほっとKOBE」では、学生と被災した住民らが交流している。何日も話さず、笑ってもいない。そんな人が会話を通じて笑顔を取り戻す。こうした取り組みが何より大切だ。

 震災20年までは「復旧・復興」、21年からは将来のリスクに備えるステージに――。兵庫県はそんな考えで街づくりを進める。そのための出発点は、震災体験と教訓ではないか。

 被災直後、全国からボランティアが駆けつけたことは、その後の被災者支援の先例となった。神戸の訴えが国会を動かし、被災者への現金支給に道を開いた被災者生活再建支援法もできた。地域社会で助け合う大切さも、震災を機に確認された。日頃の交流を維持することは全国どこでも重い課題だ。

 悲惨な体験をした人が記憶を伝える。それに共感する力が、災害を減らし、命を守る手がかりとなるだろう。

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