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 昨年暮れ、日本でも人気があった韓国アイドルの自殺について、朝日新聞デジタルが故人の遺書全文を一時掲載し、ネット上で厳しい批判を浴びました。自殺報道は、読んだ人の連鎖自殺につながりかねないことから、もとより慎重さが求められていますが、とりわけ遺書は誘発力が強いと考えられているからです。

 12月19日午前、遺書が遺族了解のもと知人のインスタグラムで公開されたのでデジタル版用に出そうか、との相談が現地記者から東京本社のデスクにありました。芸能界の内部告発といった要素はなかったのですが、デジタル配信担当者から「欲しい」と言われたデスクは現地に出稿を頼み、午前11時前に配信。30分後、東京・大阪両本社内から「不適切では」との指摘が複数出て、正午すぎに削除しました。1時間余の掲出でしたが、ネット上では遺書掲載を問題視するブログがすぐアップされ、同調ツイートも続きました。

 編集部門内で共有する事件報道の手引では、自殺報道に関し、連鎖を防ぐための留意点と理由などをまとめています。例えば、模倣につながらぬよう「詳しい方法は報じない」。遺書については「連鎖のおそれが高いとされるタレントや青少年の場合は肉筆がわかるような写真は原則掲載しない」としています。世界保健機関(WHO)がメディアに求める自殺報道のガイドラインは「遺書は掲載すべきではない」となっていますが、本社は現在、誘発リスクに気をつけながらも、掲載する社会的意義がまさる場合はある、との立場をとっています。

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 「またか」。今回の件を知ったNPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」の清水康之代表は「検証を」とツイートしました。

 清水さんは内閣府参与だった2011年、自殺者急増をめぐる本紙・デジタル版の記事や見出しに「報道の影響力をわかっていない」と抗議しました。本社は修正・訂正しました。さらに「ガイドライン策定を」「自殺防止はメディアの責務」と語る清水さんへのインタビューを、「自殺を誘発しない報道をめざす」との本社側見解と共に掲載。これが翌年の手引改訂で自殺報道の項を現在の内容に増強する契機の一つとなりました。

 だからこそ清水さんは再び、「遺書は、自殺を考えつつ表面張力でとどまっている人を一滴で決壊させる凶器になりうる重い文章」「掲載する社会的意義との葛藤のうえでの判断なのか」「先進的な手引を持ちながら記者一人一人の腑(ふ)に落ちていないのでは」と問いかけています。

 こうした批判を受け、本社は12月20日、コーポレートサイトに「WHOガイドラインの趣旨に照らしても不適切ゆえ削除しました」「再発防止に努めます」と発表しました。

 パブリックエディター(PE)会議は一昨年夏、「天声人語」が自殺者の遺書を一部引用した際に「WHOガイドラインを意識しているのか」「掲載する公益性と切羽詰まった人が読むリスクをどう判断すべきかを研修などで積み上げてほしい」と指摘しました。

 この論議を意識して、子どもの自殺防止をめざした昨年4月の連載「小さないのち 大切な君」取材班は、清水さんや自殺問題に詳しい学者のアドバイスを受けながら取材を進め、掲載時にはWHOガイドラインを意識していることや相談窓口の連絡先を明示しました。

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 PE会議はこの姿勢を高く評価しました。それだけに新年初の1月9日の会議で昨年末の遺書掲載問題をとりあげ、「デジタル版は瞬時に拡散し、自殺報道の影響を受けやすいとされる若年層などにも届くので一層の注意が必要」「遺族が遺書公開を望んでいても、それを報道の判断基準にするべきではない」(小島慶子PE)、「なぜ気をつけるべきなのかを記者個々の腹に落ちる形で浸透させなければ」(河野通和PE)、「早く削除したのはよかったが、IT活用によるチェック態勢の整備を」「3月の自殺対策強化月間に向け、社としての姿勢を示してほしい」(湯浅誠PE)と求めました。

 中村史郎ゼネラルエディターは「PEからも指摘されていたのに、再び読者を失望させてしまい、申し訳ない」と陳謝。原因を(1)事件報道の多い現場でないと社内手引の存在を忘れがち(2)デジタル版向け記事はスピード重視のためにチェック態勢が紙面より薄い、と分析し、改めて手引とWHOガイドラインを読むよう編集部門全員に周知しました。出稿時に手引の内容を確認するよう求める仕組みなどのシステム改善も検討するそうで、「自殺の報じ方は難しく、一律に線引きすることはできないが、議論を重ね、手引の見直しを含めて考えたい」と話しています。

 掲出1時間余とはいえ、けっして小さなことではありませんでした。「なぜ」なのか。自殺に追い込まれかねない弱い立場の人々を支えることこそ、朝日新聞が大切にしたいことだから、ではないでしょうか。

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 まつむら・しげお 1959年生まれ、84年朝日新聞社入社。be編集部・経済部デスク、さいたま総局長、西部本社編集局長を経て2016年から現職。

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