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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1918年7月31日に始まった第4回全国中等学校優勝野球大会の兵庫大会では、関西学院中(現関西学院)は順当に勝ち進んだ。8月1日の2回戦は神戸一中(現神戸)に9―2、2日の準決勝は御影師範に10―0。3日の神戸商との決勝では、2点を追う八回表に逆転を遂げ、2万人と伝えられる観衆を沸かせた。

 この間、社会情勢は急速に暗転していた。

 政府は2日、シベリア出兵宣言を公表した。米国の要請と、シベリアで孤立したチェコスロバキア軍の救出を強調した内容で、ロシアの領土の尊重と内政不干渉をうたった。だが、日本軍の派遣人員は最大7万2400(18年8月)に達し、米国9千、英国7千、中国2千、伊1400、仏1300、カナダ少数に比べ群を抜いていた。

 陸軍省軍務局長の奈良武次中将は同日夜、記者に「出兵となれば米価は益(ますます)昂(あが)るでせうね」と語ったと、4日付大阪朝日新聞夕刊は記す。

 同3日付夕刊によれば、白米の値段は1升40銭で「日本開闢(かいびゃく)以来の高値」。和歌山では白米不足で一部旅館が休業。政府は大手総合商社の鈴木商店(本社神戸市=双日、神戸製鋼所、帝人などの前身)に、朝鮮から買い込んだ米の放出を命じたとする。記事は「どの位(くらい)の値でどんな方法で売り出すのかも市では全く没交渉なので処置に困ってゐます」と語る大阪市の担当者の発言を引用し、同社への非難を強くにじませた。

 関西学院中が全国大会出場を決めたその日、富山県で事件が持ち上がった。地元紙「高岡新報」は4日付で「女軍(ぢょぐん)米屋に薄(せま)る/百七八十名は三隊に分(わか)れて/町有志及び米屋を襲ふ」と、同県西水橋町(現富山市)で、生活に困った漁村の女性が米屋に強訴した事件を伝えた。

 翌5日付大阪朝日が「女房連の一揆/米高に堪(たま)り兼(か)ね『餓死すると』口々に喚(わめ)き立て/三百余名米屋へ押しかく」と報道。枯れ野の火のように騒ぎは広まった。(編集委員・永井靖二)

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