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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 米価が引き金の騒乱は続いた。大阪朝日新聞は1918年8月13日夕刊(14日付)で第4回全国中等学校優勝野球大会の延期を告げたが、翌14日付朝刊は変わり果てた姿となった。

 1面トップの社説全文が削られ、刃物の跡が紙幅いっぱいに残った題字脇の欄外に「号外」の大活字。その下に「発売を禁止せられたるにつき其筋(そのすじ)の忌諱(きい)に触れたりと推測せらるべき記事を削除し本号外を発行せり」とある。輪転機にかける鉛版をノミで削り取った紙面だった。

 大日本帝国憲法は言論の自由を「法律ノ範囲内」で認め(第29条)、内務大臣は「安寧秩序ヲ紊(ミダ)シ又ハ風俗ヲ害スルモノト認ムルトキ」は、新聞紙法を根拠に発売禁止や記事差し止めができ(同法第23条)、発行人や編集人に禁錮や罰金などの罰則もあった(同第38条など)。

 削られる前の紙面が、朝日新聞大阪本社に残っている。日の目を見なかった社説には「吾人(ごじん)が平生繰り返し繰り返し当局の悪政を糾弾し、その反省を求めたるに拘(かかわ)らず、彼等(かれら)は政治道徳を弁(わきま)へず……米価を暴騰せしめ、国民生活を脅かし、以(もっ)て茲(ここ)に騒動を惹起(じゃっき)せしめた」などとある。

 米騒動は13日、さらに広がって東京にも飛び火。寺内正毅(まさたけ)内閣は14日夜、米騒動に関する記事一切の掲載禁止を命令した。15日付朝刊は、1面トップの社説に加え英文欄の一部と関係談話など、2面は約100行分、3面は約140行余分、5面経済面はコラム二つ、7面社会面は半分以上が削り取られた。

 大阪で夜間外出禁止令が出され、不穏な情勢は続く中、東北代表の一関中(岩手、現一関一)から九州代表の中学明善(福岡、現明善)まで、代表14校は全国大会に備え、既に関西入り。抽選も済ませ、各校は宿舎で推移を見守っていた。

 大会関係者は打開策を模索。大阪朝日の本社に近い北野中(大阪、現北野)の校庭を借り、一般来観者を締め出して試合する案も出て大阪府警察部長の了解も得た。だが結局、中止と決まった。(編集委員・永井靖二)

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