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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 米騒動の争乱が続く1918年8月16日午前10時、宿舎などに待機していた第4回全国中等学校優勝野球大会の参加14校の監督と主将らが、大阪朝日新聞に集められた。副社長の上野精一が、一同に大会の中止を告げた。深紅の優勝旗はさらに1年間、前年優勝校でこの年も東海代表だった、愛知一中(現旭丘)が保管することになった。

 この日発行の夕刊(17日付)1面に「第四回全国野球大会中止」とだけ社告が出た。題字左脇に掲げた論説「朝日評壇」は「非立憲横暴の内閣は如何(いか)にしても退治せねばならぬ」と、激越な語調でビリケンこと寺内正毅(まさたけ)内閣を糾弾している。

 翌17日付朝刊社会面に「選手諸君及び一般学生諸君に檄(げき)して大会中止の意義を開陳す」として、異例の長文の社告が掲げられた。筆者は大阪朝日の初代社会部長、長谷川如是閑(にょぜかん)だった。

 ――政府が無謀にも一切の新聞雑誌に対して現下の重大なる社会的形勢に就いて平たい事実をさえ伝ふる事を厳禁した為(た)めに、諸君の父兄は……非常の不安状態に陥って居るのであります……。

 中止の理由でも、長谷川は強い政府批判を繰り広げた。

 前年の雪辱を期し、優勝候補だった兵庫代表の関西学院中(現関西学院)関係者の落胆は大きかった。同高等学部文科教員で伝道師の村上博輔は16日の日記に「大(おおい)ニ癪(しゃく)ニ障(さわ)ル」と書いた。「昨年に続いて天魔に魅入られたかの如(ごと)くであった」と「関西学院スポーツ史話」は記す。

 政権を糾弾する記者の集会が相次いだ。最大規模のものが、25日に大阪ホテルで開かれた関西新聞社通信社大会だった。86社の166人が参加し、寺内内閣に退陣を迫る決議を採択。それを報じる26日付大阪朝日夕刊社会面に次の一文があった。

 「我(わが)大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判(さばき)の日に近づいてゐるのではなからうか。『白虹(はっこう)日を貫けり』と昔の人が呟(つぶや)いた不吉な兆(しらせ)が……」

 批判者の隙を権力は見逃さなかった。(編集委員・永井靖二)

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