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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 《第3章》

 1923年7月8日、第9回全国中等学校優勝野球大会の開催を知らせる社告と前後して、2人の文化人が新聞紙面をにぎわしていた。一人は、小説家の有島武郎。もう一人は、無政府主義者の大杉栄だった。

 8~11日付紙面は、「カインの末裔(まつえい)」「或(あ)る女」などで知られる有島が、軽井沢の別荘で雑誌記者の愛人・波多野秋子と心中した事件を、遺書の内容も交えて連日大きく扱っていた。

 そして12日付夕刊社会面は、仏・パリ近郊のメーデーに参加して現地当局によって日本へ強制送還された大杉が、神戸港へ到着した模様を報じた。「クリーム色のセルの背広に白のヘルメットを被(かぶ)り、ステッキを持って葉巻を燻(くゆ)らしながら平然たるもの」。妻の伊藤野枝が長女魔子を連れて出迎えたが、大杉は上陸と同時に警察へ連行される。2人は翌日再会を果たすが、2カ月足らずのうちに起こる大災害と、それに乗じて殺される運命は知る由もなかった。

 シベリア出兵は長期化。米国が撤兵し、22年12月のソビエト社会主義共和国連邦成立後も日本軍は北サハリンの占領を続け、23年7月時点も事態収拾をめぐる交渉が続いていた。

 野球人気は高まり、21年ごろから「ブームの第一期」が始まったと「大会40年史」は記す。第7、8回大会は和歌山中(現桐蔭)が史上初の連覇を遂げ、第9回大会は松山商(愛媛)も並んで有力視された。23年7月27日付大阪朝日は「今から勝った気でゐる和中松商」の見出しで、紀和・四国両大会の情勢を概説。紀和大会で3連覇を狙う和歌山中に海草中(和歌山、現向陽)が挑む模様を、「玉砕を期して真向(まっこう)から突進しやうといふところに何者にも代へ難き若人の純真さがある」と評した。

 実際は和歌山予選初戦で和歌山中に3―9で敗れた海草中が敗者復活戦を勝ち残るも、決勝で再び同校に2―5で敗れた。

 全国大会も和歌山中と松山商が有力視されたが、「伏兵」が現れる。(編集委員・永井靖二)

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