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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 「大殊勲者岡田君の/痛快な本塁打/美事(みごと)に勝敗の地位を替ゆ」――。逆転劇で優勝候補の松山商(愛媛)を破った地元兵庫代表・甲陽中(現甲陽学院)の活躍に、1923年8月18日付大阪朝日新聞神戸付録(現神戸版)の見出しが躍った。

 負けた松山商の剛腕、藤本定義はその後、早稲田大でエースとして活躍。プロ野球巨人の初代監督や阪神の監督も務めた。逆転打を放った岡田貴一は戦後、「振りおくれないのが精一杯(せいいっぱい)だった」と振り返る。初出場校は大金星で波に乗った。18日に東京の早稲田実を6―1で破って準決勝へと駒を進めた。

 19日は日曜日。4強のうち3校が関西勢で、午前10時からの第1試合は甲陽中対立命館中(京都、現立命館)、午後2時開始予定の第2試合は和歌山中(現桐蔭)対松江中(島根、現松江北)だった。休日の好カードに観衆が殺到した。

 徹夜組に加え、歩いて来た人で未明の午前3時に鳴尾球場は満員に。阪神電鉄は沿線各駅に「もう観(み)る場所はありません」と貼り紙をしたが、さらに人が押し寄せた。午前5時ごろから球場近くの電柱は人が鈴なりとなり、得点板の上にも「鳩(はと)のやうにズラリとファンが」(20日付大阪朝日新聞)。第1試合の開始直後、一塁~右翼席の群衆があふれ出て内外野へなだれ込み、試合は1時間半ほど中断。観客を分散させようと第2試合は急きょ西グラウンドに移し、午後1時の開始となった。

 甲陽中は13―5で立命館中に勝利。これを報じた20日付大阪朝日新聞は「未曽有の大観衆を迎えて一時は殆(ほと)んど人力では整理も不可能の状態となり……非常に遺憾に存じます」と、「おことはり」を出した。

 20日の決勝は3連覇を狙う和歌山中が相手。甲陽中は四回、適時三塁打など4得点し流れをつかみ、5―2で優勝。21日付同紙夕刊は「常勝軍敗る」の見出しの下に「アサヒ・スポーツ 野球大会号 九月一日発行」の広告。その発売日に天変地異が起こる。(編集委員・永井靖二)

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