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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 ラジオは1920年、米国で正規の放送が始まり、瞬く間に世界へ広がった。日本では22年ごろから新聞社などによる公開実験放送が相次ぎ、25年、独立系局が東京(JOAK)、大阪(JOBK)、名古屋(JOCK)で放送を開始した。

 当時、ラジオは聴取の届け出と、東京で月1円、大阪で同1円50銭の聴取料が要った。「ラヂオを盗聴し/罰金三十円に処せらる/J・O・B・K最初の処罰者」と、26年7月1日付大阪朝日新聞は報じる。大阪市東淀川区の理髪業の男(23)が大阪逓信局の許可なく「聴取無線電話機」(ラジオ)で放送を聞き、罰金を科せられたとする。

 放送開始から時を経ず、所管官庁の逓信省が動く。同省は26年4月、3局の統合を強力に要請。同年8月6日、社団法人日本放送協会が発足した。7日付大阪朝日新聞夕刊は「役員顔ぶれ決定/逓信省の高圧に不満」の見出し。同協会の「日本放送史」は、逓信省が示した常務理事がすべて同省出身者で「放送局当事者を驚駭(きょうがい)させ且(か)つ甚だしく憤慨させた」と記録する。

 JOBKは早い段階から、甲子園の全国中等学校優勝野球大会に着目し、26年には実況放送の企画があった。だが、「甲子園球場の所有者である阪神電鉄が野球を見に来る人がなくなるといって拒否」(同協会「放送五十年史」)したため、この年は実現しなかったという。

 代わりに同局は特別放送を計画した。試合経過を午前中に10回と午後に11回放送するほか、夕刊発行後の試合は5分間ごとに経過を告げた。活字では実現不可能な速報性が、すでに発揮されつつあった。

 当時、大会人気はますます過熱していた。歌詞を公募して初代の大会歌が作られ、応募2964編から兵庫県の尼崎中学教諭、福武周夫が1等に。「青雲のたなびく窮(きわ)み、東ゆ西ゆ」で始まる歌詞には曲がつけられ、JOBKから放送された。一方でその速報を意識してか、大阪朝日新聞は奇妙な装置を登場させた。(編集委員・永井靖二)

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