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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 「昭和」最初の盛夏となった1927年7~8月、時代の節目を表す事件が続いた。

 スイスでのジュネーブ海軍軍縮会議が8月4日、決裂。第1次大戦後の軍縮条約を補完する交渉は先送りされ、後年の再軍拡競争の伏線になった。そんな中にも野球人気が姿を見せる。

 7月22日付大阪朝日新聞夕刊は「26―8で/日本大勝/日、米軍縮野球」の見出し。軍縮会議の米国全権代表団と同記者団に日本側が野球の試合を申し入れ、両チームは20日、ジュネーブ市内のグラウンドで対戦。日本が圧勝したとする。

 前後して7月24日、「大正文壇の寵児(ちょうじ)」と呼ばれた小説家、芥川龍之介が服毒死した。第2回全国中等学校優勝野球大会で優勝した東京の慶応普通部(現神奈川、現慶応)の選手で、大会初の外国籍選手ジョン・ダンと交流があった芥川は、旧友への手記で、自殺の動機を「ただボンヤリした不安」と表した。

 そして8月13日開幕した第13回大会で、ラジオ実況放送。19日付社会面は、「大成功で大好評――/甲子園の連絡放送/わが国ラヂオ文化の先駆」と特集し、「甲子園に行ってるやうな気がします」などとある。

 20日の決勝を同日付大阪朝日新聞は「東京でも放送」と報じた一方、アナウンサーは「特に野球に精通した人」と名前を伏せた。元NHK記者、橋本一夫の著書「日本スポーツ放送史」によれば、東京で試合経過を4回にわたり語ったのは、河西三省(みつみ)。前畑秀子が女子で初の金メダルを取った36年のベルリン五輪競泳で、「前畑がんばれ」の絶叫が知られる。試合は高松商(香川)が5―1で広陵中(広島、現広陵)に勝った。

 28年の夏の甲子園は、東京でもラジオで実況中継された。同年11月に京都であった昭和天皇の「即位の礼」も加わり、年度末のラジオ加入数は前年度の約1・4倍に達する56万4600人に。一方、大阪朝日新聞が開発した速報装置「プレヨグラフ」の記事は、30年ごろ姿を消した。(編集委員・永井靖二)

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