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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 「野球期に入る全日本/年々増し行く各地の予選」――。

 1925年7月23日付大阪朝日新聞夕刊は、第11回全国中等学校優勝野球大会の各地方の展望を紹介。並んで、23日付朝刊は「子供の時から飛行機好き」と、同社の操縦士、河内一彦の家庭を訪ねる記事を載せた。

 朝日新聞社は同年、「訪欧大飛行」に挑んだ。日本の航空界では長距離飛行がせいぜい朝鮮半島までだった時期。シベリアを横断し、第1目標モスクワまで未到の9775キロを約10地点を中継して目指す、欧米に比肩する冒険飛行だった。フランスから新鋭機ブレゲー19A2を2機導入し、日本で整備。逓信省航空局に人選で協力を受け、河内と陸軍大尉の安辺浩を操縦士に、陸軍航空部の篠原春一郎と片桐庄平を機関士に選んだ。機名は3万7千通以上の応募から「初風(はつかぜ)」と「東風(こちかぜ)」とした。

 「訪欧機/けふ/鵬翼(ほうよく)を万里に張る」。26日付同夕刊は全4面のうち3面が、東京・代々木練兵場を飛び立つ2機の記事だった。地方大会が佳境の8月5日付朝刊は、ハルビンを発った2機が「興安嶺(こうあんれい)の山嶮(さんけん)を突破して/無事チタ市に到着す」と、旧ソ連領入りを報じている。

 故障を乗り越え、2機が中間地点イルクーツクに着いたのは8日午後6時半(現地時間)。10日付朝刊は「すでに東京露都間/全航路の半ばを飛行す/バイカル湖も難なく越えて」の見出し。同日の紙面は全国大会に出る全21校が決まったと伝える。

 第11回大会の甲子園の始球式ボール投下を1面で報じた16日付夕刊は、2面に「訪欧機、躍進また躍進/ノヴォ・ニコラエフスクに着く/三分の二以上を翔破(しょうは)す」。大会は23日の決勝で高松商(香川)が早稲田実業(東京)を5―3で破る。

 四国勢初の優勝を伝える朝刊の発行後、「無事露都に入る/破るゝが如(ごと)き大歓迎/勇敢なる四氏元気旺盛」と号外を発行。到着は同日午後5時5分(現地時間)。航空史空前の挑戦は、夏の大会と照応し合うかの進展をみせた。(編集委員・永井靖二)

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