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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1925年8月23日にモスクワへ着いた訪欧機「初風(はつかぜ)」「東風(こちかぜ)」は、ベルリン、パリ、ロンドン、ローマなどを訪れ、約1万7400キロを飛んだ。数々の記録更新に加えて国際親善も果たした搭乗員の安辺浩、河内一彦ら4人は、海路で翌26年1月6日午前9時過ぎ、数万人が待つ神戸港へ上陸。東京駅では約10万人が一行を出迎えた。

 「国民行事となった訪欧飛行は航空界に自信を与え、『空の大航海時代』というべき世界情勢のなか、独自開発の機運を静から動へと切り替えた」と、元ジェットエンジン設計者で「朝日新聞訪欧大飛行」の著書がある前間孝則(72)は語る。

 26年の朝日新聞には「飛行界」欄ができた。第12回全国中等学校優勝野球大会の地方大会が始まる時期、7月15日付同欄は「モスクワ、テヘラン/長距離飛行」と「来月十日から/大阪大連定期飛行」がある。

 甲子園では、優勝候補が次々姿を消す中、静岡中(現静岡)が初優勝を果たす。東京では7月15日に定礎式があった明治神宮野球場が10月の完成を控え、前年始まっていた東京六大学のリーグ戦とともに野球人気はさらに高まっていた。

 速報装置「プレヨグラフ」が登場し、ラジオが実況中継の前段として試合経過を流し始めた26年の夏、紙面は甲子園の試合と同時に各国の飛行家の動向も大きく扱った。焦点は大西洋無着陸横断だった。大会中の8月18日付大阪朝日新聞は「米仏の名鳥人が/大西洋を一気に飛び/ニューヨーク料理を積み込んで/パリで開宴祝杯をあげる」の記事。閉幕後の29日付では「大西洋横断/飛行競争/仏三機が参加」。だが、有名飛行家らの挑戦は失敗に終わる。

 翌27年5月20~21日、米国の郵便飛行士チャールズ・リンドバーグがニューヨーク―パリ間を33時間半で飛んだ。無名の25歳。無線もなく、空気抵抗を減らすため前方視界もない1人乗り機「スピリット・オブ・セントルイス」の壮挙に、世界は沸いた。(編集委員・永井靖二)

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