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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1928(昭和3)年の第14回全国中等学校優勝野球大会は8月22日、松本商(長野、現松商学園)が平安中(京都、現龍谷大平安)を3―1で破り初優勝。優勝旗を受け取る松本商に本社機が祝福の花束を投げた。

 その2日後、大阪朝日新聞は1面に特大の社告を出した。

 「大阪=東京=仙台/旅客貨物の空中輸送/本月廿七(にじゅうしち)日より開始=東京大阪間三時間」

 小荷物で23年に始めた定期航空を、国内初の定期旅客便に発展させた。東京―大阪が週3便で1人35円、東京―仙台が週1便で同30円。当時、国鉄の特急燕(つばめ)東京―大阪の一等車が24円余(30年、特急料金含む)。

 8月27日午前8時半発東京行きと、同9時40分発大阪行きは満員(定員4~6人)だった。27日(28日付)同夕刊によれば、別の社機が東京から大阪の式典にそばを出前してみせた。

 だが、世相は暗転していた。6月29日には、国会で審議未了の改正治安維持法が緊急勅令で公布され、罰則に死刑と無期懲役刑が加わる。航空業界では10月20日、国策会社の「日本航空輸送会社」が設立された。既存の民間輸送会社は権利を譲渡したが、「その実は強制的に解消を迫られた」と「日本航空史」(日本航空協会編)は記す。

 翌夏、第15回大会の地方大会開幕を告げる29年7月16日付大阪朝日新聞の同じ夕刊が、日本航空輸送の初就航も報じた。

 この年、甲子園にはアルプススタンドが増設された。複数の説があるが、「大会70年史」は、登山家で朝日新聞記者、藤木九三を名付け親とする。航空界は飛行船で初の世界一周に挑む全長235メートルのグラーフ・ツェッペリン号が話題で、7月23日付同紙は「近く飛来する空の巨船/ツェッペリン伯号/我(わが)社の北野特派員同乗」とある。同号は8月15日にドイツを出発、19日に茨城・霞ケ浦飛行場へ到着した。

 一方の大会は、広島商が20日、3―0で海草中(和歌山、現向陽)を破り2度目の優勝を果たす。(編集委員・永井靖二)

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