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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1931年の夏、第17回全国中等学校優勝野球大会は、全参加校数が634校と前年から93校も増加。甲子園では8月21日、中京商(愛知、現中京大中京)が優勝を果たした。

 決勝で敗れた台湾代表の嘉義農林は、日本人、台湾人(漢人)、先住民の混成チームで台湾大会を制し、初出場。「KANO」と書かれたユニホームで、甲子園でも勝ち上がるごとに注目を集める。その活躍を描いた映画は、2014年に台湾で翌年日本で公開された。

 一方、航空界では、前人未到だった太平洋無着陸横断飛行の準備が進んでいた。8月7日付大阪朝日新聞はハーンドン、パングボーン両飛行士の「ミス・ビードル」号が立川に着いたと伝える。10月4日、青森県の淋代(さびしろ)飛行場から離陸した同号は、41時間12分で7910キロを飛び5日朝(日本時間6日未明)、米ワシントン州ウェナッチに胴体着陸。日米を無着陸で結ぶ。朝日新聞は、リンドバーグが大西洋を無着陸横断した時の、数倍に及ぶ紙面を割いた。

 だが、世情は暗さを増していた。9月に満州事変が始まり、10月8日、旧日本陸軍が中国東北地方の錦州を空爆。ビードル号飛行士の手記と、国際的に非難を浴びた航空作戦とが新聞の1面に並んだ。空は冒険の舞台から戦場へと変容を始めた。

 それでも空への挑戦は続く。朝日新聞社は37年4月、国産機「神風(かみかぜ)」号で東京―ロンドン間を飛行。機名は53万6千通の応募から選ばれた。11カ所に着陸して1万5357キロを実飛行51時間19分と、新記録を樹立。38年5月には東大航空研究所が設計した「航研機」が、周回コース飛行で1万1651キロの長距離世界記録を作っている。

 だが、37年7月に始まった日中戦争で軍の専横は強まる。41年12月、米英と開戦。敗勢濃厚ななか旧海軍は44年10月、「神風(しんぷう)特別攻撃隊」を結成。カミカゼは自爆攻撃の名に変わった。「空の大航海時代」に育った元球児たちは、相次ぎ空で命を落とした。(編集委員・永井靖二)

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