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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 《第6章》

 1930(昭和5)年、中等学校野球は人気が絶頂期を迎え、大会40年史には「“野球狂時代”に突入した」とある。

 この年の第16回全国中等学校優勝野球大会の決勝は8月20日、広島商と諏訪蚕糸(さんし)(長野、現岡谷工)が対戦。八回に諏訪蚕糸が追いつき2―2で迎えた九回表、広島商が相手の守備の乱れを突き一挙6得点をあげ、2年連続3度目の優勝を果たした。21日付大阪朝日新聞は「本年に限って悉(ことごと)く予想を裏切り、つひには殆(ほとん)ど勝負の予断を下す勇気さへなくなってしまった」と各校の実力伯仲ぶりを記す。

 同日付紙面が、農林省発表の小作争議件数も伝える。同年上半期は1179件、前年同期比で165件の増加。前年10月24日にニューヨークで起きた世界恐慌が、日本に及んでいた。

 翌週の30年8月27日付同紙1面に、ある事件が載った。

 「北海出漁の蟹工船/エトロフ丸に怪聞/怪死者十余名を出す」――。数百人を乗せて富山県伏木港を出港し、カムチャツカ海域で操業中の蟹工船エトロフ丸で、虐待が常態化。作業は23時間連続なのに出港後5日で野菜は底をつき、数十人が病気になって病死は18人に達したという。待遇改善を求めストライキをした16人は棍棒(こんぼう)でめった打ちにされ、死者が出た。重病のため中継船で25日に函館港へ戻った水産実習生らが明かした。

 「函館市史」によれば、エトロフ丸は函館を経由して9月23日に伏木港へ帰着。富山県警察部の発表によれば、死者は16人だが、死因は主として胃腸病で「虐殺の事実はない」。函館市史は「真相は明らかにならず、闇の中の事件として終わった」とする。小林多喜二が前年発表して話題を呼んだ小説「蟹工船」を、地で行く事件だった。

 一方、東北地方は窮乏していた。「食糧のない四千戸/木の根や草の根を食ふ/悲惨な岩手県の農民」と、8月31日付大阪朝日新聞は記す。野球人気とは裏腹に不安な時代へと進んでいた。(編集委員・永井靖二)

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