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 福島第一原発の周辺4町村で、避難指示が一斉に解除されてからまもなく1年。東日本大震災と原発事故で深手を負った現地をめぐると、厳しい現実がいや応なく目に入ってくる。

 住まい、買い物、医療と介護、働く場、コミュニティー……。生活に欠かせない機能の多くが足りず、人の帰還が進まない。住民への意向調査で「戻らない」と答えた人が5割に迫る自治体もある。

 しかし、裏を返せば、「いずれ戻りたい」「迷っている」という人も少なくない。

 それぞれの被災者の生き方を支えつつ、望む人が地元に戻れる環境を整えていくのは、行政の大切な役割だ。これまでの対策を点検し、実情とのずれをただす必要がある。

 まちの再生は難題が山積みだが、道筋を探りながら、粘り強く進むほかない。

 ■帰還進まぬ現実

 原発の北側に位置する浪江町。1月末、開校を春に控えた「なみえ創成小・中学校」で入学説明会があった。

 「少人数の学校の方が、一人ひとりきちんと目を配ってもらえると思う」。家族でいわき市に避難する30代男性は、学校の再開に合わせて地元に戻り、2人の子を創成小に通わせることにした。町の畠山熙一郎教育長は「子どもの声が聞こえる普通のまちに再生する、大事な一歩になる」と期待を寄せる。

 ただ、こうした家族はまだわずかだ。入学予定は小中の合計で10人ほどにとどまる。

 震災前、町には2万人余りが住んでいたが、戻ったのは1月末時点で約500人にすぎない。ハードルになっているのは、生活環境の整備の遅れだ。

 町内にコンビニはあるが、スーパーはなく、車で数十分かかる店に頼らざるを得ない。町が業者に出店を働きかけているが、商圏がまだ小さく、話がまとまらない。

 診療所も内科と外科のみ。戻った住民には高齢者が多く、「歯科や眼科も何とかしてほしい」といった声が聞かれる。

 ■堂々巡り抜けるには

 住民の大半が戻らない状況は、浪江町と同じ時期に避難解除された富岡町や飯舘村も似通う。除染を進め帰還を促す行政の思惑は、大きく外れている。

 暮らせる環境が整わないから住民が戻らない。人が少ないので、生活に必要なサービスが提供されない。この堂々巡りから抜け出すために、自治体と政府は生活分野の対策に知恵を絞らねばならない。

 医療・介護は、担い手確保を市町村任せにせず、福島県や国が関係団体と連携して支援することが必要ではないか。商店などには、再開準備だけでなく、一定期間は運営も支える仕組みを充実させられないか。

 市町村ごとにまちの再生を進めるやり方には限界もあるだろう。必要な機能を複数の自治体で分担して整えるなど、広域連携が欠かせない。

 気がかりなのは、復興政策が施設整備に偏りがちなことだ。

 巨額の予算を投じて、エネルギーやロボット技術などの研究開発施設、大型スポーツ施設などの建設計画が進む。「復興予算があるうちにと考え、箱ものをどんどん求める首長もいるが、維持費のことまで頭が行っていない。国も感覚がちょっとまひしている」。被災地のある町の幹部は漏らす。

 行政は「生活再建」を強調するが、予算や人手の配分がずれてはいないだろうか。

 ■社会全体で支える

 被災地では、長引く避難で暮らしの土台となる人のつながりが根こそぎ壊され、帰還や賠償金をめぐる分断も影を落とす。作り直すのはたやすくないが、新たな芽も生まれている。

 2年半前に避難指示が解除され、住民の3割が戻った楢葉町。昨年9月に開店した小料理屋「結(ゆい)のはじまり」は夜になると、周辺の住民や原発関係の作業員らでにぎわう。

 店を切り盛りする古谷かおりさん(33)は、もともと首都圏で働いていたが、復興を担う人材の育成塾にかかわり、起業を決意した。「地元の人と外から来た人が接点を持ち、自然に楽しんでもらえる場として続けていきたい」

 飯舘村が近く始める「ふるさと住民票」は、つながりを被災地の外に広げる試みだ。村を応援したい人を対象に、村の情報を伝え、村民と交流する仕掛けも考えるという。

 「元に戻すのではなく新しい村をつくるという発想で、いろいろ実験していく」。菅野典雄村長は話す。

 原発事故から7年。今も福島の人々は現実と向き合い、悩みながら、平穏に暮らせる環境を取り戻そうと模索を続ける。

 忘れてならないのは、あの事故が原発を推進する国策の末に起きたという重い事実だ。そのことを胸に刻み、復興への歩みを社会全体で支えていけるかが問われている。

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