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 これは大学自治への介入ではないか――。学費の負担軽減策を適用する条件として安倍内閣が打ち出した考えに、大学から懸念の声が相次いでいる。

 内閣は、多くの若者が大学や短大などに進めるよう、所得の低い世帯の子に限って授業料の減免や奨学金給付を進めると、昨年末に閣議決定した。

 おかしいのは、そのお金を出す対象校を絞り込むような要件をつけたことだ。

 理屈はこうだ。格差の固定化を防ぐのがこの施策の目的であり、社会や産業界のニーズをふまえ、職業に結びつく教育を行う必要がある。だから対象を、実務家教員が受けもつ授業や、外部から招く理事が一定の割合をこえる学校に限る、と。

 この発想には問題がある。

 まず、社会の要請に合っているかどうかを測る尺度を国が決め、選別する危うさだ。また、どんな教員と講座をそろえるかは大学の個性そのもので、運営の根幹にかかわる。人事は学問の自由の保障と密接な関係があり、そこに国が介入するのは憲法の趣旨にもそぐわない。

 何より、若者に進学の門戸を広げるための改革なのに、志望先を狭める条件をつけるのは矛盾と言わざるを得ない。

 閣議決定は、学生側にも成績要件を設け、水準に満たなければ支援を打ち切るという。

 これにも「働きながら5、6年かけて卒業する人も認めるべきだ」「大学によって単位や成績評価のあり方は違う。一律に条件を設けるのはやりすぎだ」と異論や懸念が出ている。

 具体的な制度づくりは、文部科学省の専門家会議で詰める。大学側の指摘に耳を傾け、議論に反映させるべきだ。

 こうした要件が持ちだされた背景に、大学に対する政府や経済界の不信が透けて見える。

 学生の力を引きだし、社会の役に立つ教育を求めるのは理解できる。だが教育や研究の価値は、経済合理性だけでは判断できない。大学改革は無償化とは切り離して議論すべきだ。

 大学と実社会のつながりを強め、学生の社会性を培う方法はいろいろあるはずだ。産学官の連携による地域の産業振興や環境保全といった、各地で実践されている取り組みを深めてもいい。インターンシップ制の充実も検討に値しよう。経済界は大学運営に口を出すのではなく、こうした学生を育む環境の整備にこそ力を貸してほしい。

 近年、予算配分を通じた政府の大学統制が進む。無償化の名のもとにその傾向が強まれば、大学の活力は損なわれる。

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