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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 夏の甲子園で空前の3連覇を目指す中京商(愛知、現中京大中京)は、1933年8月12日に開幕した第19回全国中等学校優勝野球大会で、初日の第3試合に登場。朝鮮代表の善隣商を11―0で破った。

 17日には浪華商(大阪、現大体大浪商)と対戦。中京商のエース吉田正男は三回裏、左目に送球を受けて昏倒(こんとう)しながらも投げ抜き、3―2で競り勝つ。

 だが、中等野球が盛り上がる一方で、同時期、社会で数々の事件が禍根の尾を引いていた。

 思想や研究内容を基に政府が京都帝国大法学部教授の滝川幸辰(たきかわゆきとき)の処分を大学に強いた「滝川事件」は7~9月、滝川ら教授8人を含む教員計21人の辞職に発展し、後年の思想弾圧の拡大につながった。すでに同年2月には「蟹工船」の作家、小林多喜二が、東京・築地警察署内で拷問死していた。

 8月19日付(18日発行)大阪朝日新聞夕刊は「愈(いよい)よ冴(さ)える吉田」の見出しで、中京商が大正中(広島、現呉港)に2―0で準決勝進出と報じる。同じ紙面に、世間を騒がせていた二つの事件の続報が並んだ。

 一つは、「ゴー・ストップ事件」だ。大阪・天神橋筋6丁目の交差点で6月17日に起きた信号無視の陸軍兵士と交通整理の巡査の殴り合いが、「皇軍の威信に関する重大問題」として陸軍側が巡査を告訴する事態に発展していた。双方は11月に和解するが、警察が軍に折れ、非を認めさせられる内容となる。

 もう一つは5・15事件の軍法会議だ。19日付朝刊の続報によれば、18日、事件に関わった青年将校は「自己即日本の信念を全日本国民に徹底させる」と持論を述べ、法廷外では荒木貞夫陸相に減刑嘆願書と人間の小指9本が届いた。全国に広がった減刑運動は「ファッショ的風潮をかきたてた」(平凡社「世界大百科事典」)とされる。19日発行の号外は、陸軍側被告11人への禁錮8年の求刑を報じた。

 そしてこの日、中京商は準決勝で明石中(兵庫、現明石)と対戦した。(編集委員・永井靖二)

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