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 「(徽文高等普通学校の)野球部は……全国の中等学校に伍(ご)して遜色なき実力を備へてゐる。若(も)し今度の朝鮮大会に同校が参加することとなれば、一等有力な優勝候補チームであらう」(「アサヒ・スポーツ」1923年7月1日号)

 第9回全国中等学校優勝野球大会(23年)の朝鮮大会に初出場した徽文高普は、大会前から評判が高かった。

 監督の朴錫胤(パクソギュン)は、朝鮮の普通学校(日本の小学校にあたる)を卒業後、日本に留学。京都の旧制三高の投手として活躍した。東京帝国大で学んだあと、朝鮮に帰り、京城(現ソウル)にある私立の名門校、徽文高普の教壇に立った。

 23年の朝鮮大会には8校が参加した。徽文高普はチーム全員が朝鮮人。残り7校は、ほぼ全員が日本人のチームだった。徽文高普は仁川商、竜山中を破って決勝に進出。前年優勝の京城中を10―1で下して優勝を遂げた。

 「徽文軍は熱狂せる万余の同胞に送られ優勝旗を先頭に(京城の)市中を練り廻(まわ)つた」(「アサヒ・スポーツ」23年8月15日号)

 日本人記者もこの結果を歓迎した。

 「朝鮮人学校が優勝して内地東西各地の優勝校との争覇戦に参加するといふことは朝鮮(統治の)問題の上より見るも有意義な事である」(同)

 「(日本と朝鮮の)融和の上から見ても彼が鳴尾の本舞台で闘ふ事は嬉(うれ)しい」(23年7月31日付大阪朝日新聞朝鮮版)

 8月9日、徽文高普は、兵庫県・鳴尾球場での全国大会出場に向けて京城を出発。途中の釜山で朴監督が記者に語った。

 「朝鮮を代表すべき朝鮮人のチームとして全国中等学校大会に出場することの出来るのは内地の人々の悦(よろこ)んで下さるのは勿論(もちろん)吾々(われわれ)としても非常に悦ばしいことであります、勝敗は天に任せ何処迄(どこまで)も男らしく朝鮮青年の意気を内地百万の観衆に見て戴(いただ)き度(た)いと思つてゐます」(8月14日付朝鮮版)

 (上丸洋一)

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