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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 第9回全国中等学校優勝野球大会の朝鮮代表、徽文高普は1923(大正12)年8月17日、満州代表の大連商と鳴尾球場で対戦した。

 日本が租借する中国東北部の大連・旅順地区でも、朝鮮と同じ21年から地方大会が開かれていた。

 徽文高普はチーム全員が朝鮮人、大連商は全員日本人だった。試合は大連商が二回に2点先取したものの、すぐに徽文高普が4点を返し優位に立った。

 一塁側大連商応援席では、臨時編成の200余人の応援団が中国語の応援歌で気勢をあげた。対する徽文高普応援席には関西在住の朝鮮同胞が陣取り、白熱した場面になると朝鮮語で声援を送った(「アサヒ・スポーツ」23年9月1日号ほか)。

 当時、大阪府には約2万4千人、兵庫県に約6千人の朝鮮人労働者が暮らしていた(朴慶植編「在日朝鮮人関係資料集成 第一巻」)。

 徽文高普は9―4で大連商を下し、翌18日、京都の立命館中(現立命館)と対戦した。

 七回終わって4―4の息詰まる熱戦となった。八回表、徽文高普の下手投げエース、金鐘世(キムジョンセ)は相手打線を3連続三振に切って取った。しかし九回表に連打を浴びて3点を失う。

 その裏、徽文高普は4連続四死球で1点を返し、なおも2死満塁の好機が続いたが、次打者が三振に倒れ、5―7で惜敗した。

 新聞が健闘をたたえた。

 「善(よ)く戦つた……今後益々(ますます)練技し来(きた)るべき年の大会に再び出場し今日の怨(うら)みを雪(そそ)がんことを切望する」(23年8月21日付大阪朝日新聞朝鮮版)

 監督の朴錫胤(パクソギュン)は語った。

 「朝鮮の兄妹達(けいまいたち)が毎日数百名鳴尾に来て吾等(われら)を励まして呉(く)れた事は大きな味方でありました」(8月26日付朝鮮版)

 徽文高普の活躍はその後長く朝鮮球界の語りぐさとなる。

 徽文高普野球部一行は8月23日、京城(現ソウル)に戻った。9日後の9月1日、関東大震災が起きた。(上丸洋一)

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