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 1923(大正12)年の第9回全国中等学校優勝野球大会に朝鮮代表として出場した徽文高等普通学校は、翌24年から3年間、朝鮮大会に出場しなかった。なぜなのか。

 「アサヒ・スポーツ」24年7月1日号には、こうある。

 「前回の覇者徽文高等普通は本年其(そ)の陣容に大動揺を来し多数のプレーヤーを逸したので昨年と殆(ほと)んど比較にならぬ程(ほど)実力が低下したと云(い)はれてゐるが過般布哇(ハワイ)遠征に物凄(ものすご)い本場の磨きをかけて居る……」

 同誌記者が取材した時点では、徽文高普は大会出場が見込まれていた。ところが、7月20日の大阪朝日新聞朝鮮版が「異変」を示唆する。

 「本年は昨年の覇者たりし徽文高等普通学校がある事情のために出場出来ない……」

 この記事でも徽文高普が、同じ京城(現ソウル)の朝鮮人チーム、培材高普とともにハワイに遠征して腕を磨いたと伝えていた。なのになぜ――。

 朝鮮語紙「東亜日報」を繰ると、6月18日の紙面で「徽文盟休拡大?」と報じていた。「盟休」は「同盟休校」の略。学校の姿勢や教師の態度などに抗議して生徒がストライキに入ることだ。

 さらに7月1日付同紙は、盟休に関連して徽文高普が24年3月に「運動選手」を落第させたとも書いている。

 東亜日報は社説(9月4日付)でも取り上げた。

 ――学校は700人近い生徒を退学処分とし、警察は大した理由もなく、40~50人の生徒を検束した。これは大きな不祥事だ。しかし、警察の干渉は不当だと言わざるを得ない。

 朝鮮総督府警務局の資料「朝鮮に於(お)ける同盟休校の考察」(29年)によると、21~28年の8年間に404件の盟休が全土で発生。19年の三・一独立運動以来の「民族的思想の流れが多分に漂つて居ることは明(あきら)かである」と指摘している。

 朝鮮の中等学校野球は、こうした不安定な社会基盤の上に立っていた。(上丸洋一)

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