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 中国の習近平(シーチンピン)政権が2期目に入り、一極体制を強めている。今週終わった全国人民代表大会で、国家主席の任期の制限をなくす憲法改正をし、人事では盟友や側近を要所に配した。

 最高権力者が政権の長期化に道を開くルール変更を断行したことで、欧米では「中国を自由世界に統合する試みは挫折した」との悲観論が出ている。

 確かに習政権の集権化は、日本を含む主要国の民主主義からは遠ざかるように見える。ただその一方で、この大国の中では別の大きな変化も起きていることを見過ごしてはなるまい。

 それは、多くの人びとの日常の考え方や行動の中に見て取れる。政治がどうあれ、自分なりの思考で物事を表現したり行動したりする営みの幅が着実に広がっているのだ。

 経済発展が民主化につながるかどうかは歴史の検証を待たねばならないが、中国で長期の発展が教育水準の飛躍的な向上をもたらしたのは確かだ。

 世界の多様な社会のあり方への知見を広めるにつれ、ものを言う自由への要求が高まるのは自然であり、それは中国で少しずつ浸透している。

 憲法改正をめぐっても、その一端がソーシャルメディアに表れた。「専制」「終身制」「独裁」など多様な非難の言葉が発信され、瞬時に広がった。車をバックさせる動画がはやったのは、憲法改正を歴史の「後退」とする表現だった。

 知識人層では明らかに、憲法改正への反対論が根強い。共産党内ですら反対が少なくなかったと伝えられる。

 汚職と闘う強い指導者として習氏は支持されている。だが、混乱をもたらした独裁者・毛沢東の死後、指導者の終身制を否定し、任期を制限した知恵もまた広く共有されている。そのルールを壊して昔に戻るのか、という不安が拭えないのだ。

 習政権が市民のネットでのやりとりを監視したり、街頭に監視カメラを並べたりするのは、社会の力量が増したことへの警戒感のためでもあろう。

 全人代では政府が医療制度の充実など民生改善を懸命にアピールした。そこに表れているのは民主的手続きを欠く政権ゆえに民を恐れる現実である。

 全人代閉幕時の演説で習氏は「つねに誠心誠意人民に奉仕する」と述べた。問題は、制度上の裏付けが何もないことだ。

 市民が発言し、政治参加する権利を保障するのが本来の統治の姿である。社会が前に進んでいる時に政治が後退を続ければ、ひずみは増すばかりだ。

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