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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 「(朝鮮人が学ぶ)高等普通学校の新参加者を多く得たことはこの大会をますます有意義なものとする……」

 大阪朝日新聞朝鮮版がそう書いたのは、1929(昭和4)年6月23日付だった。

 この年の第15回全国中等学校優勝野球大会朝鮮大会は、朝鮮人チームが参加24校中、5校を占めた。23年から4年間は毎年1校、27年3校、28年4校と次第に増えてきた。

 この大会に初参加した朝鮮人チーム、光州高普は29年7月28日、同じ朝鮮人チームの釜山二商に5―29と大敗した。

 3カ月後、事件が起きた。

 10月30日夕、光州近郊の羅州駅で、光州中の生徒(日本人)が光州女子高普の生徒(朝鮮人)にぶつかってきた(諸説あり)。見とがめた光州高普の朝鮮人生徒が日本人生徒を殴り、けんかになった(佐堀伸三「若き抗日の群像」)。

 明治節(明治天皇誕生日)の11月3日、学校から光州駅に向かう光州中生12人と光州高普生10人が衝突、双方とも援軍がかけつけ大乱闘となった。

 警官の制止で高普生はいったん学校に引き揚げたが、その後、光州農業学校や女子高普の生徒が加わってデモを始めた。

 警察は朝鮮人生徒64人、日本人生徒8人を検挙した。しかし、起訴したのは朝鮮人生徒40人。日本人生徒は釈放した(朝鮮総督府警務局編「光州抗日学生事件資料」)。

 朝鮮人生徒は次のような抗議のスローガンを掲げた。

 「朝鮮人本位の教育制度を確立せよ!」

 「植民地奴隷教育制度を撤廃せよ!」

 12月、抗日、独立を求める運動は京城(現ソウル)に波及、徽文高普、培材高普などの生徒も校内でビラをまくなどした。30年3月までに朝鮮全土で194校、生徒約6万人が運動に参加、1642人が検挙された。

 30年夏、光州中は前年に続いて朝鮮大会に出場した。光州高普は32年まで夏の大会に姿を現すことはなかった。(上丸洋一)

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