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 京城商が初優勝した1931(昭和6)年の第17回全国中等学校優勝野球大会朝鮮大会は、記録破りの入場者を集めた。

 メインの京城球場の入場者は7日間で5万4339人(1日平均約7760人)で、大会史上最多となった(31年8月9日付大阪朝日新聞朝鮮版)。

 最近の地方大会をみても、1日に8千人近い入場者を集める球場は、そうはない。

 31年7月28日の京城球場の入場者は特に多く、1万2334人を数えた。この日は、過去5回優勝の日本人チーム、京城中と、朝鮮人チームの培材高等普通学校が対戦。外野の柵の外にあるケヤキの大木2本にも見物人が鈴なりになった。

 当時は朝鮮大会が近づくと、観覧者への「注意」が大阪朝日朝鮮版に掲載された。

 「言動を慎み審判員並(ならび)に選手に対し敬意を払はれたい」

 「応援団を認めざるをもつて応援席を設けない」

 「観覧者は異様の服装をなしまたは旗、メガホン等で喧騒(けんそう)にわたり他人の迷惑或(あるい)は試合の妨害となることを禁ずる」(31年7月18日付)

 同じ趣旨の注意が、30年から36年まで、ほぼ毎年掲載されている。民族服を着て、民族楽器を打ち鳴らすような応援は、「他人の迷惑」になるとして禁じられたのかもしれない。

 大阪朝日京城支局などの主催者側は、応援の熱気が高じて観客の民族感情をかき立て、不測の事態を招くことを警戒した。

 日本と朝鮮の融和と対立が交わる地平で、朝鮮大会は開催されていた。

 33年の朝鮮大会では、日本人が学ぶ鉄道学校と、優勝経験のある朝鮮人チーム、徽文高普が対戦、6―4で鉄道学校が勝った。大阪朝日朝鮮版(7月25日付)は要旨、こう述べた。

 ――徽文高普が久しぶりに出場したため素晴らしい人気で、朝鮮人の観衆が押しかけ、日本人と対立する情景を展開した。しかし、これは純真な学生スポーツであり、親善の光景を見せてほしいものだ。(上丸洋一)

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