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 福島第一原発の事故を招いた責任は、東京電力だけでなく国にもある。そんな判断が京都と東京の地裁で続けて示された。

 避難者らが集団で起こした訴訟は約30ある。うち国が被告になった裁判でこれまでに5件の地裁判決が言いわたされたが、4件で国は敗訴している。

 政府は「法的責任を負うのは東電で、国は社会的責任にとどまる」としてきた。だが民事裁判では、これを否定する流れが形づくられつつある。

 津波は予見でき、国が適切に権限を行使すれば事故は防げた、とする司法の指摘は重い。原発の安全に関わる人すべてが真摯(しんし)に受けとめる必要がある。

 事故の反省を踏まえ、国は、原発政策を推進する省庁から独立した原子力規制委員会を設けるなどした。だが、安全性の追求に終わりはない。最新の知見を積極的に採り入れ、万が一にも事故を起こさないよう、不断の努力が求められる。

 一連の判決は、被害者に対する償いの進め方にも、問題を投げかけている。

 東電だけを被告とする裁判も含め、これまでに出た七つの判決はどれも、国の審査会が定めた指針を上回る賠償を命じた。損害の内容・評価や金額に違いはあるものの、指針とそれに基づく東電の賠償基準では、多様で深刻な被害の実態をすくい切れていないことを物語る。

 東電は賠償にあたって、自らの基準に固執するのではなく、被災者一人ひとりの声に丁寧に耳を傾けなければならない。

 救済に取り組む姿勢が問われるのは、国も同様だ。

 審査会は「判決が確定していないので、指針をただちに見直すことはしない」との立場だ。だがそれで、公正ですみやかな救済が図れるだろうか。

 判決の確定には長い時間がかかる。積み重なる裁判所の判断を見ながら、指針にどんな見直しが必要か、検討を進めるのが誠実な姿勢だ。

 とりわけ考えるべきは、自らの判断で避難した人々への対応だ。東電の基準だと総額12万円が支払われるだけという人が多いが、裁判で百万円単位の賠償が認められた例もある。判決は「行政の指示によらず被曝(ひばく)リスクを考えて避難したとしても、社会通念上相当な場合はある」「事故で居住地を決める権利を侵された」と指摘している。

 避難者には偏見や中傷に苦しめられる人が少なくない。抱える事情は様々でも、それぞれが原発政策の被害者だ。社会全体で支えるために、まず国が責任に向き合わねばならない。

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