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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1907(明治40)年、早稲田大に進んだ飛田穂洲(すいしゅう)は、生涯の師と出会う。野球部長の安部磯雄がその人だ。

 安部はキリスト教人道主義に立つ社会主義者として知られた。野球ではフェアプレーの精神を何より大切にし、日本の武士道がそれにあたると考えた。26(大正15)年に辞任するまで四半世紀近く、早大野球部長を務め、大学を超えて尊敬を集めた。

 飛田は回想する。

 「ベンチから相手を弥次(やじ)りでもしようものなら、直ちにお目玉を頂戴(ちょうだい)した。……審判者に対する今日の美風は、先生によつて作られたといつてもよいくらゐ、審判者への物言(ものいい)を制限された。……士道精神に背反するやうな行為があれば、いかに重要な選手であつても除名処分にされた」(「家の光」39年11月号)

 安部は精神修養を重んじた。要点は二つあった。

 「第一は……形勢我に不利なる場合にも、決してヤケにならぬ事。第二は勝負に余り重きを置かぬ事」(「早稲田大学野球部五十年史」)

 その安部が、飛田を厳しく叱ったことがある。

 21年、飛田が監督を務める早大野球部は、米国で強豪シカゴ大と対戦した。ところが、エース谷口五郎が肩を痛め、七回になって「とても投げられません」と訴え出た。

 「やれ、肩が抜けても本望じゃないか。君は本当の早稲田野球部精神というものをまだ知っていない。死ぬまでやるのが早稲田の選手なんだ。アメリカへ何しに来たのだ」

 谷口がマウンドに向かって歩き出した瞬間、ベンチから安部が「飛田君!」と声をあげた。

 「投げられぬというものをむりやり投げさせようという法がありますか」

 飛田は投手を交代させた(飛田「熱球三十年」)。

 「フェアであれ」という安部流の精神論と「苦痛を越えよ」という飛田流の精神論と。「精神野球」論には二つの側面があった。(上丸洋一)

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