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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1940(昭和15)年6月、元首相の近衛文麿は、枢密院議長を辞任して挙国一致の新体制運動に乗り出した。政党は解散に向けて動き、秋には大政翼賛会が発足する。日中戦争の開始から3年。和平の見通しは立たなかった。

 「体力向上は皇国臣民の義務である」

 政府は国民に、そう呼びかけた。体力(身体、生命)は戦力であり、もはや個人のものではなかった。

 6月19日、朝日新聞は「紀元二千六百年奉祝 全日本中等学校体育競技総力大会」開催の社告を掲載した。主催は朝日新聞社、後援は文部省。この年の第26回全国中等学校優勝野球大会は、陸上競技、水泳、テニス、バレーボールなどとともに、総力大会の中に組み込まれた。

 浪華商(大阪、現大体大浪商)の2年生だった今西錬太郎(93)は、エースとして大阪大会に臨んだ。身長168センチ。切れのある直球とカーブ、制球の良さで連打を許さなかった。

 明星商(現明星)、北野中(現北野)などの強豪を相次いで破った浪商は、準決勝で扇町商(現扇町総合)と対戦した。

 今西は相手打線を6安打に抑えたが、味方打線が好機を生かせず、1―2で惜敗した。

 8月12日、中等学校体育競技総力大会の開会式が甲子園で開かれた。

 「選手一同、時局の重大性を深く考へ、運動競技を通じて益々(ますます)心身を鍛錬すると共に誓つて国家の良材たらんことを期す」

 宣誓をしたのは、バスケットボールの選手だった。

 野球は、和歌山の海草中(現向陽)と静岡の島田商が決勝に進出。海草中が2―1で勝ち、大会2連覇を果たした。

 その年の暮れ、12月28日、浪商は「研究指導試合」として寝屋川球場で明治大と対戦した。相手投手は前年夏の大会の優勝投手で海草中から明大に進んだ嶋清一だった。今西は嶋と投げ合い3―5(7回打ち切り)で敗れたものの、互角の戦いだった。(上丸洋一)

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