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 中村史郎ゼネラルエディター(GE)兼東京本社編集局長と意見交換しましたが、話がかみ合いませんでした――。ネット記事風に言うと、そうなるでしょうか。

 別に仲は悪くありません。中村さんは初代パブリックエディターの一人で、今でも頻繁に意見交換します。意見の違いはあって当然です。その上で「今このときにおけるメディアの役割」をどう考えるか、私も、そしておそらく中村GEも悩みながら日々過ごしているので、読者のみなさんのご意見もうかがいたいと思いました。

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 メディアの主要任務の一つが権力の監視だという認識は一緒です。違うのは、メディアの自己開示の必要性と重要性に関してです。

 きっかけは、裁量労働制をめぐる国会論議でした。安倍晋三首相が、裁量労働制で働く人のほうが一般労働者よりも労働時間が短いというデータがあるという趣旨の答弁を行い、後に撤回に至りました。

 この時期、私が日々待ち望んでいた記事がありました。「私たち記者を見れば、裁量労働制で労働時間が短くなるなんてありえないことは明白」という内容の記事でした。しかしその記事は出ず、話題は森友学園をめぐる財務省の文書改ざん問題に移っていきました。

 私がそう期待したのには、いくつかの理由と経緯がありました。

 一つは、長時間労働問題をめぐる朝日新聞社の報道姿勢です。約1年前、私は本コラムで自社の働き方も扱うべきだと主張しました(昨年5月30日朝刊「不都合な問題も取り上げて」)。その後、朝日は自社の働き方に触れましたが(同7月9日朝刊「働き方 記者も手探り 朝日新聞は」)、NHK記者の過労死の際には、死因の一つが選挙取材による疲労で、その報道はまさに朝日の記者たちが多忙を極める総選挙取材の最中になされたにもかかわらず、自社の働き方には触れませんでした。

 毎週のパブリックエディター定例会議で、私は頻繁にこのことに言及してきました。そして裁量労働制をめぐる問題が今国会の大きな争点であることは、去年からわかっていました。何か企画が準備されているはずという期待がありました。

 しかし中村GEは、そうした記事は準備していなかったとのこと。「新聞社は長時間労働の典型のような職場で、働き方改革は切実な問題ですが、朝日新聞社の場合は『裁量労働制だから長時間労働になっている』とは必ずしも言えません」という理由でした。

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 もう一つは、記者の当事者性と、読者との向き合い方です。

 ある課題に直面する本人を当事者と言い、その言葉には評論とは異なる迫力が生まれます。それゆえ、記者は日々必死に当事者を探します。私もこれまで数限りなく、「当事者を紹介してくれ」と頼まれてきました。しかし裁量労働制については、当事者を探す必要がありません。記者自身が当事者だからです。ふだん他人の言葉でしか語れない記者が、自身の言葉で語れるテーマが世間の関心を集めているとき、私はそれをチャンスと認識します。

 加えて、朝日新聞はいま「ともに考え、ともにつくるメディア」をうたっています。そのためには、朝日から読者が見えるとともに、読者から朝日新聞の人たちが見えることも重要です。自己開示しない人たちと「ともに」考えることは難しい。

 私は、朝日が掲げている通り、これからのメディアは読者とともに考えることを、あらゆる機会を使って追求すべきだと考えています。読者はもう情報の単なる受け手ではなく、言論空間を一緒につくるコミュニティーメンバーだと思うからです。

 この点、中村GEは「記者が自らの子育てや闘病、介護の経験などに基づいて書く記事には、当事者ならではのインパクトがあり、『ともに考え、ともにつくる』取り組みの一環と捉えています」としつつ、「他方で、当事者として書く記事には、どこまで客観性が担保されるのか、自分たちに都合のよい書き方と受け取られないか、というジレンマもあり、悩みながら取り組んでいます」と説明しました。

 メディア内には「読者が求めているのか」という殺し文句があります。何かの企画やテーマを否定するときによく使います。記者の自己開示は、そう言われることもあるようです。しかし、読者のニーズは変化します。もちろん私も見誤る可能性があります。今、何が求められているのか、メディアとはそれを探り続けるものでもあります。みなさんはどのようにお考えでしょうか。

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 ゆあさ・まこと 社会活動家。法政大現代福祉学部教授。1969年生まれ。著書に「『なんとかする』子どもの貧困」「反貧困」など。

 ◆原則、第3火曜に掲載します。

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