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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 阪急に入団した今西錬太郎(93)は1946(昭和21)年4月28日、開幕第2戦の阪神戦で、本拠地・西宮球場のマウンドにあがった。

 六回終わって0―4の場面で救援登板した今西は、2回を被安打0に抑え、上々のデビューを飾った。

 ところが、今西は、この試合のことを全く記憶にとどめていなかった。

 「先発して完投するのが投手の仕事だった時代ですから、リリーフで、それも敗戦処理のような場面で好投しても、どうということはなかったんですよ」

 今西はその後、東京遠征メンバーから外れた。チームもなかなか波に乗れなかった。

 ある日、西宮球場に隣接する阪急の合宿所「甲武館」で、今西は監督の西村正夫に思いを話した。

 「負けるのは悔しいです」

 「お前が投げて勝てるんか」

 「勝つか負けるかわかりませんが、負けるのは悔しいです」

 今西は6月14日、西宮球場でのセネタース戦に救援で起用され、またも好投した。そして20日、後楽園球場でのセネタース戦で、西村からプロ入り初先発を言い渡された。

 「足が震えましたなあ」と今西は語る。しかし、マウンドでは落ち着いていた。阪急入団後に覚えたシュートが打者の胸元をえぐった。気迫の投球で相手打線を2安打に抑え、6―1で完投勝ち。のちに「青バット」で知られる4番、大下弘に本塁打を浴びたものの、堂々の初勝利だった。今西は夏以降、先発投手陣の一角に食い込む。

 一方、戦後初となる第28回全国中等学校優勝野球大会は8月6日、大阪大会の決勝を迎えた。今西の母校、浪華商(現大体大浪商)と日新商(現日新)が対戦。41年の決勝では日新商が1―0で浪商に勝っていた(連載第67回)。

 戦争での中断を挟み、くしくも同じ両校が顔を合わせた。

 試合は、浪商が3―2で接戦を制し、全国大会へとコマを進めた。(上丸洋一)

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