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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1946(昭和21)年8月15日、大阪の浪華商(現大体大浪商)は、戦後復活した第28回全国中等学校優勝野球大会の開会式に臨んだ。占領軍に接収された甲子園球場にかわって、西宮球場が使用された。

 「空が真っ青でね、スタンドは超満員でした。お客さんもみんなうれしそうでしたわ。また野球ができるようになってよかったなあ。あふれる喜びで、球場が一つになっていました」

 浪商の4番打者だった島田雄三(88)は、72年前の感激を昨日のことのように語った。

 37年以降の戦時体制下では、「武士道の精神に則(のっと)り……」という言葉が選手宣誓に使われることもあった。しかし、復活大会の開会式では京都二中(現鳥羽)の田丸道夫主将が、こう宣誓した。

 「吾等(われら)はスポーツマン精神に則り正々堂々試合し……」

 大会に入り、浪商は左腕のエース、平古場昭二が快速球とドロップを武器に力投。和歌山中(現桐蔭)、函館中(北海道、現函館中部)を破り、準決勝では東京高師付中(現筑波大付)と対戦、当時の大会最多タイとなる19三振を奪う。京都二中との決勝でも13奪三振の2―0で完封勝ちした。

 観客席に阪急の投手、今西錬太郎(93)がいた。平古場は浪商の3年後輩にあたる。浪商時代、手のマメをつぶした平古場が訴えたことがあった。

 「今西さん、投手はもう勘弁して下さい。投手以外ならなんでもやりますから」

 「そんなんなら野球やめろ」

 厳しい言葉で奮起を促した。一念発起した平古場はエースへと成長した。

 深紅の大優勝旗は主将の平古場に手渡された。球場の外で待ち構える今西の前に、平古場が優勝旗を抱えて現れた。

 「よかったなあ、平古場!」

 今西は優勝旗にふれ、その感触を確かめた。

 46年、今西はプロ1年目で7勝8敗の成績を残した。翌年、今西は「巨人キラー」として、一躍、名をはせる。(上丸洋一)

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