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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1947(昭和22)年6月7日、阪急対巨人の第6回戦が後楽園球場であった。

 巨人の先発、多田文久三(ふくぞう)は、八回まで阪急を1安打に封じた。一方、阪急の先発、当時22歳の今西錬太郎(93)も九回まで巨人を散発5安打に抑え、得点を与えなかった。

 九回裏、阪急は四球や内野安打などで無死満塁の好機をつかんだ。打者は3番青田昇。

 「二球目の高目の球だつた。いい音がした。物凄(ものすご)い喚声が上つた。見ると背走して居た平山(菊二)さん(巨人外野手)が止(とま)つた」(青田「あこがれの野球」)

 打球は左翼席に吸い込まれた。この満塁本塁打で阪急は巨人にサヨナラ勝ちした。今西はこのシーズンの対巨人戦5勝目を完封で飾った。

 身長168センチ、体重54・5キロ。「中学生みたいだ」と同僚選手からも言われた今西が、鋭いシュートと抜群の制球力を武器に、川上哲治を中心とする巨人打線を次々と凡打にうち取った。

 「巨人戦は燃えましたな。打倒巨人という感じがありました。何と言っても巨人は人気がありましたから。小さい体でどんどん向かっていきましたね」

 「キャッチャーのひびさん(日比野武)も駆け引きをよく考えながらサインを出してくれました。川上さんには見事なホームランも打たれたけど、見事な三振も取りましたよ」

 今西はそう言って笑った。

 当時の阪急は、今西のほか、戦時中に豊国商(福岡、現豊国学園)からプロ入りした天保義夫、中京商(愛知、現中京大中京)のエースとして37年の第23回全国中等学校優勝野球大会を制した野口二郎が先発投手陣の柱だった。

 47年、今西は、46試合に登板して21勝15敗、防御率1・91の好成績をあげた。特に巨人に強く、阪急が巨人からあげた9勝すべてが今西の勝ち星だった。

 「ジャイアンツキラー」

 野球ファンは今西をそう呼ぶようになった。

 (上丸洋一)

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