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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1948(昭和23)年4月、学制改革が実施され、従来の中学5年制が「中学3年・高校3年制」に切り替えられた。

 これに伴い、前年までの「全国中等学校優勝野球大会」は「全国高等学校野球選手権大会」に改称された。

 「雲はわき 光あふれて」と歌い出す大会歌「栄冠は君に輝く」(加賀大介作詞、古関裕而作曲)が登場したのも、48年の第30回大会だった。

 戦後の教育改革が進む中、文部省は10月、中高生向けの社会科教科書「民主主義」を発行した。中に次の一節があった。

 「九人がそれぞれ別々の行動をし……一糸乱れず協力している。民主主義の社会生活も、一流チームの野球のようになればたいしたものだ」

 戦時下、外来競技だからと排斥された野球は戦後、一転して民主主義の象徴となった。

 47年に21勝をあげた阪急のエース、今西錬太郎(93)は、48年も好調を維持し、7月末までに5連勝を含む13勝をあげた。

 今西は振り返る。

 「完投すればそれは疲れるけど、たくさんメシを食って、酒を飲んで、一晩で回復したですね。対戦した阪神の選手は、4番打者の藤村富美男さんをはじめ、みんなアピールするものをもっていた。南海も強かった。阪急は当時から地味だったね」

 23歳のこの年、今西は23勝17敗、防御率2・71の好成績、チーム1の勝ち星をあげた。

 このころ、青森市に一人の野球好きの中学生がいた。父は南方で戦病死し、母は職を求めて福岡県に移った。のちの詩人、劇作家、寺山修司である。

 寺山はこう書き残している。

 「(私は)阪急ブレーブスの今西錬太郎投手が、ジャイアンツ・キラーであるというだけで、そのファンになり、ブロマイドを壁にピンナップして、登校前には『行ってまいります。』帰宅後には、『ただ今、帰りました。』と挨拶(あいさつ)した」(寺山編著「日本童謡集」)

 今西は孤独な野球少年、寺山のヒーローだった。(上丸洋一)

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