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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 阪急投手の今西錬太郎(93)は1949(昭和24)年4月2日、初の開幕投手を務めた。相手の大陽打線を5安打に抑え、3―1で勝ち投手になった。

 この年、今西は、7月末まで12勝9敗と勝ち星が先行した。しかし、その後は負けが込み、19勝19敗でシーズンを終えた。

 46年のデビュー以来、今西の投球回数は、驚くほどの数字にのぼっていた。

 46年7勝 183回

 47年21勝 334回1/3

 48年23勝 331回2/3

 49年19勝 315回2/3

 当時は先発・完投が当たり前で、年間400回を超える投手も珍しくなかった。しかし、今西のように3年連続で300回以上投げた投手は、まれだった。昨年のプロ野球投手の最多投球回数は190回を下回る。

 小柄な今西は、悲壮感さえ漂わせながら、気迫の塊となって連日のように投げ続けた。

 プロ野球は50年、セントラルとパシフィックの2リーグ制に移行した。今西は、新たに発足した大洋に移籍した。

 この年の3月10日、山口県の下関球場での開幕戦で、今西は国鉄を2安打完封。上々のスタートを切った。ところが、5月17日、思わぬ事故が起こる。

 同球場での松竹戦、今西は3―3の七回から救援でマウンドに上がり、八回、3番小鶴誠を打席に迎えた。

 カーンと乾いた音を残して猛烈なライナーが、今西の正面、みぞおち辺りを襲った。反射的に出した右手のひら、親指の付け根を打球は直撃した。

 小鶴は打席から動かず、今西の方を見ていた。今西はグラウンドに落ちた球を右手でつかんで投げようとした。ところが、腕が上がらない。棒で殴られたような痛みが走った。

 グラブを脱ぎ、左手で球を拾った。それを見て小鶴が走り出した。今西は左手で一塁に送球、アウトをとって降板した。

 病院で診てもらうと、骨に異常はなかったが、打撲で内出血していた。のちに今西は後遺症に悩まされる。(上丸洋一)

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