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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1950(昭和25)年5月、打球を受けて右手をけがした当時25歳の大洋投手、今西錬太郎(93)は後遺症に悩まされた。

 「スナップを利かせると、手首からひじにかけてピシッと痛みが走って、腕が思い切り振れなくなったんですよ。腰が落ちて、ボールを押し出すような投げ方になってしまって」

 それでも50年は10勝13敗の成績を残したが、51年2勝7敗、52年2勝1敗と低迷した。53年には、古巣の阪急に復帰するものの、登板の機会に恵まれず、0勝2敗に終わった。

 「まだやれる、まだやれる、と自分を励まして、何とかカムバックしようと努力を続けたんですが……」

 54年は、東映に移籍して2勝8敗。55年5月6日の南海戦で、実に5年2カ月ぶりに完封勝利を収めたが、結局、このシーズンも2勝12敗という成績に終わった。

 最後の勝ち星は7月31日の対トンボ戦。相手投手は、戦前から巨人、大映などで活躍したスタルヒンだった。

 今西の通算成績は88勝102敗。このうち80勝は前半の5年間にあげた勝ち星だった。

 56年、今西は東映の2軍コーチに就き、のちにエースとなる土橋正幸投手らを教えた。

 しかし、1年後、スカウトへの転出を打診されると、自分には向いていない、とプロ野球の世界から去ることを決意する。

 46年のデビューから11年。この間に時代は大きく動いた。56年の経済白書は「もはや戦後ではない」と書いた。日本社会は、高度経済成長のただ中にあった。

 「大阪に帰ろう。大阪に帰れば何とかなるやろ」

 そう考えていた今西に声をかけてきた人物がいた。大阪・浪華商(現大体大浪商)野球部の後輩で、東映でもいっしょにプレーした投手、米川泰夫の知人だった。

 「今西さん、軟式野球チームのコーチをやりませんか。将来は硬式に切り替えると言っているんですが……」(上丸洋一)

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