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 「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく」と、作家の井上ひさしさんは折にふれて色紙にしたためた。

 その心とつながるのだろう。日本国憲法の前文を、井上さんは子どもにもわかるように訳したことがある。

 「この国の生き方を決める力は/私たち国民だけにある/そのことをいま/世界に向けてはっきりと言い/この国の大切なかたちを/憲法にまとめることにする」

 憲法は、一人ひとりの権利や自由を守るために国家に課す基本設計書のようなものだ。欧米で憲法を表すconstitutionという概念には、「成り立ち」や「構成」の意も示す幅の広さがある。でも日本では、それにかみしもを着せ、「憲法」という少し肩ひじのはった名札をつけた結果、単語が出るだけで空気がこわばってしまう――と井上さんは嘆いた。

 ■丸谷氏の旧憲法批判

 国のあり方を自分なりのことばで考え、語る。そうした経験は、どこまで積み重ねられてきただろうか。

 約130年前。この国に初めての近代憲法が生まれた。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」で始まる明治憲法だ。

 天皇がつくって与えたものとされ、国民は統治される対象でしかなかった。大事なのは、ことばのわかりやすさよりも威厳であり、それが優先された。

 作家の丸谷才一さんは「歴史的仮名づかひ」にこだわった人だが、明治憲法は「意味を伝達することを顧慮しない文章」で書かれていると手厳しかった。

 憲法発布のころは、まだ「国語」も確立していない。多くの人にとって、舌になじんだ言葉と憲法のカタカナ文語体との間には大きな距離があった。

 それが、日本国憲法の誕生によって変わる。

 1946年4月、政府が憲法草案を発表した時、人々は内容に加え、形式にも驚いた。いまでこそ当たり前だが、ひらがな口語体で書かれた法を、それまで見たことがなかったからだ。

 ■ひらがな口語の衝撃

 口語化の立役者は、作家の山本有三である。政府の依頼を受け、極秘にとりくんだ。「主権が国民の意思にあることを宣言し、ここにこの憲法を制定する」という山本の筆には、現憲法の原型がうかがえる。

 土台が連合国軍総司令部(GHQ)が示した英文だったために、とりわけ前文については、翻訳調だとか、一つの文が長くて源氏物語のようだとかいう批判が当時からあった。

 たしかに難点はある。しかし山本らの働きや、内容はもちろん、表記の細部についても議論をたたかわせた国会審議に触れなければ不公平だろう。

 9条の規定は戦争の「放棄」がいいか「否認」がいいか、いや、もっと踏みこんで不戦を「永遠の国是」とすべきだ。そんなやりとりもあった。

 「憲法のことば」の変化は、近代立憲主義の考えをわがものにしていく流れと不可分だったといえる。

 主権者となった国民が、個人の自由や権利、多様な価値観を大切にするよう権力に命ずる。それを、自分たちにとって、より自然なことばで書く。

 口語化で憲法がわれわれの身についたような気がすると、後に最高裁長官となった国際法学者の横田喜三郎は書いている。

 ■人に届く力をつける

 だがいま、時計の針を巻き戻すような動きが目につく。

 自分の考えを自由に述べ、人間らしい生活を求める国民の権利の実現に、国は「最大の尊重」を払うよう、憲法は定めている。しかし当の国民の一部から、政府を批判したり異見を唱えたりする人に、反日、売国奴といった罵声が投げつけられ、生活保護の受給者ら社会的弱者もいわれなき非難を浴びる。まるで身を縛る縄を自分でなうような、危うい光景である。

 だからこそ、憲法が掲げる価値や理念、この国のあり方について、メディアも含め一人ひとりが考えを深め、理解の輪を広げていくことが必要だ。

 そのとき大切なのは、憲法の教科書の記述をなぞることでもなければ、「美しい国」「国難突破」といったスローガンを無批判に唱えることでもない。近年、何かを語っているようで実は何も語らず、仲間内にしか届かない言葉が、とりわけ政治の世界にはびこっていないか。

 思い出すのは、かつて沖縄慰霊の日に、小学生の安里有生(あさとゆうき)くんが読んだ自作の詩である。

 へいわってなにかな。ぼくは、かんがえたよ。おともだちとなかよし。かぞくが、げんき。えがおであそぶ。ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいてる――。

 よそゆきではない、自分なりのことばで、憲法が描く社会の姿を具体的に考える。それはなかなかに難しい。しかし、その小さな営みの先にはじめて、多くの人の胸に届く力は宿る。

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