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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 戦前、戦後を通じて学生野球を見守り、「精神野球」を説いてきた飛田穂洲(すいしゅう)は晩年、記者に「ベースボールの神髄は?」と問われて即座に答えた。

 「それは気魄(きはく)だ」(1964年3月2日付朝日新聞夕刊)

 64年春に心筋梗塞(こうそく)で入院し、療養生活を送った飛田は8月、第46回全国高校野球選手権大会の取材で阪神甲子園球場に赴いた。しかし、開会式と第1試合を見ただけで、あとは旅館で横になってテレビ観戦した。飛田の甲子園行きは、これが最後となった(65年1月26日死去)。

 第46回大会は、すべての選手が戦後生まれとなった大会だった。決勝で高知が早鞆(はやとも)(山口)を2―0で破り、優勝した。

 同じ64年、社会学者の作田啓一は論文「高校野球と精神主義」で指摘した。

 「日本の軍隊が日本の社会の縮図であったように、日本の高校野球もまた日本人の精神構造のシンボルである、といったら誇張が過ぎるであろうか」

 日本の軍隊は「気力で不可能を可能にせよ」という精神主義を土台においた。敗戦は物資と科学的思考の欠如(過剰な精神主義)が原因といわれた。

 戦後の日本は、戦中の飢餓感を埋め合わせるように、高度経済成長の道を猛烈な勢いで走り続けた。それを支えた一つが、根性で困難を克服する「刻苦勉励」の精神主義だった。

 スポーツ記者も座談会で次のような発言をしていた。

 「四日間、五日間連投して肩がつぶれてもいいという気持ちでないと高校野球の魅力はなくなる」「選手に根性がないということが、一番大きな問題だ」(60年12月26日付朝日新聞)

 64年10月、東海道新幹線が開業し、東京五輪が開催された。

 五輪閉幕直後の10月27日、朝日新聞は「(都市への集中で)公害、交通マヒ、水キキン、住宅難など、深刻な影響が現れています」と書き、高度成長のゆがみに目を向けた。

 翌65年、今西錬太郎(93)率いる佼成学園は、秋季東京都大会で優勝した。(上丸洋一)

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