[PR]

 ■ありがとう 夏100回 これからも

 「初めて本校の野球部が、第38回選抜(高校野球)大会の東京代表に選ばれました」

 佼成学園(東京)の校内放送が朗報を告げたのは、1966(昭和41)年1月31日午後3時50分ごろのことだった。

 報道陣を前に当時41歳の監督今西錬太郎(93)は語った。

 「週二回も七時限授業があるなど練習時間が少ないので、学業と野球の両立に苦労した。それだけに喜びも、ひとしおです」(2月1日付東京中日新聞=現東京中日スポーツ)

 佼成学園は前年の秋季東京都高校野球大会で、7試合中5試合を完封して初優勝。左腕のエース行田(こうだ)文雄が注目を集めた。

 だが、甲子園で勝つのは簡単ではなかった。66年3月29日、小倉(福岡)と対戦。甲子園の雰囲気にのまれた行田が10与四死球と乱れ、1―7で敗れた。

 今西は振り返る。

 「行田は、大会直前に食中毒にかかって十分快復していなかった。甲子園では力の半分も出せなかったですね」

 1年おいて68年、佼成学園は2度目の選抜大会出場を果たす。エース猪狩志郎は身長182センチの本格派。遊撃手の清水透(のち宏悦〈ひろよし〉、プロ野球大洋ほか)、右翼手の森山正義(のちロッテ)が打線を引っ張った。

 3月30日、尾道商(広島)との試合は雨中のナイターとなった。尾道商は二回2死から2安打と四球で満塁とし、9番打者の二塁打で2点をあげた。

 佼成学園も三回、清水の右犠飛で1点を返したが、その後はライナー性の当たりが再三、相手の好守に阻まれた。後半、相次ぐピンチを堅守でしのいだものの、1―2で惜敗した。

 「そこここに水たまりができるほどの悪条件にもかかわらず、好プレーの応酬はすばらしかった。今大会好試合の一つ」と翌日の毎日新聞は評した。

 尾道商は決勝に進んで大宮工(埼玉)に2―3で敗れたが、準優勝と健闘した。

 阪神のスカウト、小鶴誠が今西のもとを訪ねてきたのは、その年の秋だった。(上丸洋一)

こんなニュースも