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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1974(昭和49)年8月7日、第56回全国高校野球選手権大会の組み合わせ抽選会が開かれた。西東京代表の佼成学園は大会第5日の13日、鹿児島実と対戦することが決まった。

 抽選会から数日後、当時49歳の佼成学園監督、今西錬太郎(93)が取材記者に尋ねた。

 「向こうはどんなピッチャーですか?」

 ある記者が答えた。

 「今西さん、えらいところとあたりましたなあ。大会で一番のピッチャーですわ」

 試合の日が来た。佼成学園の先発は軟投派のエース、中山清(61)。今西と同じ内野手出身で身長も同じ168センチ。制球力に優れているところも今西と似ていた。そのうえ中山は、今西が得意としたシュートの投げ方を地方大会前に直接教わり、自分のものにしていた。

 一回、中山は2死二塁から適時打を許し、1点を失った。しかし、その後は再三走者を出しながら、味方の好守にも助けられて追加点を与えなかった。

 鹿児島実の先発は身長184センチの本格派、のちにプロ野球巨人で活躍する定岡正二(61)だった。佼成学園の打者は、バットを一握り以上短く持って定岡の速球に立ち向かった。しかし、球威に押されて四回まで無安打。後半は毎回のように走者を出すものの、好機に一本が出ず0―1で敗れた。

 試合時間1時間57分。

 戦時下に大阪・浪華商(現大体大浪商)のエースとして甲子園をめざして果たせず、監督15年で夏の甲子園に初めて立った今西にとって、それはあまりに短い、しかし、それだけにかけがえのない時間だった。

 今西は語る。

 「みんなよく守ったですよ。守りのチームとしては思い通りの試合ができた。ただ、1点が取れなかった。浪商時代には甲子園に受け入れてもらえなかったけれど、監督として受け入れてもらった。そのことに感謝しています」

 今西はその後も、甲子園への挑戦を重ねる。(上丸洋一)

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