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 成田空港が開港して、きょうで40年になる。この春には3本目の滑走路をつくる計画に地元自治体が同意。実現すれば、面積、発着容量とも約1・7倍になり、新たな時代を迎える。

 訪日客が好調ななか、政府はさらなる利用者増とアジアの空港との競争をにらんで、成田と羽田双方の機能強化をめざしている。大がかりな事業だ。需要見通しは的確か、騒音被害をどう抑えるかなど、引き続き綿密な検討と説明が求められる。

 成田の歴史は公共事業の進め方の生きた教材といえる。

 半世紀前に滑走路3本の国際空港として構想されたが、用地買収が進まず、1本でのやりくりが長く続いた。閣議で一方的に計画を決め、土地を収用し、機動隊を投入して抑えこむ。そんな政府の姿勢が抵抗運動を激化させ、反対派、警察官、工事関係者らが何人も亡くなるなどの悲劇を生んだ。

 国が対話路線に転じたのは、90年代に入ってからだ。住民との話し合いは4年間続いたが、終結から7年余で2本目の滑走路が使えるようになった。

 反対派も年を取り、運動の出口を探っていた面はある。それでも、対話を進めた国土交通省OBの高橋朋敬(ともゆき)さんは「強制的にやっていたときよりも物事は早く進んだ」とふり返る。

 10年前から、人事院の新人官僚向け研修の講師に招かれている。講演では必ず、当時の上司に言われた「ゆっくり急げ」という言葉を贈る。急ぐときほど検討を尽くし、手順をふみ、納得ずくで進めよ――と。

 国内のどこかに造らなければいけないが、地元には重い負担を強いる。そうした施設はこの先も出てくる。そのとき成田の教訓を生かさねばならない。

 3本目の滑走路計画には、多くの地元団体が要望や提案をだしている。半世紀前は、押しつけられた計画への賛否で住民同士がいがみあい、分断される痛みを経験した。今度こそ主体的に地域の未来を選び取りたい。そんな切実な思いを抱く人も多いだろう。

 元反対派幹部の石毛博道さんもその一人だ。「国も地域も高齢化と人口減に直面している。観光立国は解決策の一つになるし、地元に雇用を生み、人口流出も食い止められる」と話す。

 空港の拡張は一部住民に移転を強い、新たに騒音や落下物の危険にさらされる地域を生む。国にはその責任を引き受け、最善の策を講じる責務がある。

 急がば対話。過去に学び、異論や不安に向きあい、ともにその解消をめざす姿勢が肝要だ。

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