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 カンボジアの内戦後初めての総選挙から25年がたつ。パリ和平協定に基づいて国連が管理して実施された選挙は、民主主義への第一歩だった。

 日本も和平の仲介役となり、国連の平和維持活動(PKO)に自衛隊や文民警察を初めて派遣した。冷戦終結後に日本外交が積極的な役割を果たした事例となった。

 6回目の総選挙が7月に迫るいま、カンボジアは独裁的な政治体制に転じるか、民主主義の縁にとどまるかの岐路にある。カンボジアも日本も、25年間の遺産を失ってはならない。

 1993年の投票が始まった日、PKOの現地代表だった明石康氏は空にとどろく音で未明に目を覚ました。それは雷雨だったが「ポル・ポト派の砲撃かと思った」と日記に記した。

 和平から離脱していたポト派は、選挙直前まで妨害の姿勢を示していた。薄氷の情勢のなか、日本人の選挙監視員と文民警察官も犠牲になった。

 選挙の結果、国土の8割を1党体制で統治していたカンボジア人民党は第2党に転落した。以降の総選挙では徐々に議席を増やし、フン・セン政権は支配を固めてきた。

 一方、国際社会の支援や関心のもとに多くのメディアが生まれ、NGOなどが育った。13年の総選挙では野党「カンボジア救国党」が4割以上の議席を得た。昨年の地方議会選挙でも救国党が4割以上を獲得し、国民は政治選択の自由をものにしたかに見えた。

 こうした状況下、政権は救国党党首を逮捕した。党は解散させられ、幹部の政治活動は禁じられた。批判的なメディアは解散や身売りに追い込まれ、NGOへの規制も強まっている。海外に逃げている政治家や人権活動家も多い。

 問題は、政権が法を新設したり改正したりして弾圧に使っていることだ。法整備支援は日本が力を入れてきた分野である。政権の行為は「法による支配」をはき違え、悪用するものだ。

 EUや米国は総選挙への支援を中止したが、日本は継続を表明している。東南アジアでは中国が存在感を増しているが、中国に対抗するために支援を続けるのでは筋違いだ。

 日本も、異常な状態で実施される総選挙の結果を認めてはならない。それは民主化が後退したり、停滞したりしている近隣諸国にも悪影響を及ぼす。

 活動を止められている野党政治家の選挙参加への道を探るなど、最後まで正常化への努力を続けなければならない。

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