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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 松竹映画で俳優デビューしたばかりの倍賞千恵子(当時21)のインタビューが、1962(昭和37)年7月22日付の朝日新聞に掲載されている。

 「いま、楽しみなことが二つあるんです」と語り、映画で歌を歌う予定があること、そして日大三(東京)野球部3年の弟、明の活躍を挙げた。

 「私のカンでは、激戦の都予選で絶対優勝よ。私も甲子園へ応援に行きたいけど、仕事の都合でどうなるかしら……」

 春夏36回の甲子園出場を誇る日大三。学校は現在、東京郊外の町田市にあるが、かつては東京・赤坂の料亭街の近くにあった。着物姿の芸者さんが行き交う街を、倍賞千恵子の弟、倍賞明(74)は通った。

 両親は勤務先の都電で職場結婚した。父は戦中、満州に出兵。千恵子と明は東京で生まれたが、妹の俳優美津子は疎開先の茨城県で生まれた。

 一家は戦後、東京の下町の長屋で暮らし、明は中学の野球部で強打者としてならした。新聞やラジオで見聞きする甲子園を夢見ていた頃、日大三の練習場を見学させてもらい、その際にすしを食べた。

 「すしはおいなりやかんぴょう巻きしか食べたことがなかった。毎日こんなうまいものが食べられるのならと勘違いして、日大三に決めた」と振り返る。

 当時、東京代表は1校で、日大三と早稲田実などが夏の甲子園の出場権を争った。74年の第56回全国高校野球選手権大会から、東東京と西東京の2代表制になるが、両校はいま西東京大会でしのぎを削る。

 明が2年生だった61年夏、両校が東京大会3回戦で相まみえた。結果は日大三が2―9でコールド負けしたが、翌日の朝日新聞東京版によると、強豪対決に超満員の観客が集まり、「早実の先輩である巨人の王(貞治)選手も外野から後輩たちのプレーを心配そうにのぞいていた」と伝えている。

 翌62年、日大三は甲子園で旋風を巻き起こす。

 (五十嵐聖士郎)

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