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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1962(昭和37)年、春の第34回選抜大会。日大三(東京)が快進撃を見せる。その中軸打者の姉が、新人俳優の倍賞千恵子となれば、注目を集めるばかりだった。

 倍賞明(74)を3番打者に据えた日大三は1回戦で平安(京都、現龍谷大平安)を破った。続く滝川(兵庫)戦は、九回裏に明の二塁打で同点に追いつき、延長サヨナラ勝ちを収めた。準々決勝の鎌倉学園(神奈川)戦は、明の適時打による1点を守り切った。準決勝の中京商(愛知、現中京大中京)にはまたもサヨナラ勝ち。ついに決勝へと駒を進めた。

 相手は作新学院(栃木)。投手はのちにプロ野球ロッテで活躍し、監督も務めた八木沢荘六(73)だった。明は六回、安打で好機を広げたが、後が続かない。0―1で日大三は準優勝となったが、明は全5試合で19打数10安打と、その名を知らしめた。

 それまで東京勢が選抜大会決勝に進出したのは2度だけだった。夏の全国高校野球選手権大会も1915(大正4)年の第1回大会から出場し続けたが、優勝は第2回大会のみ。

 東京の野球ファンは盛り上がった。選抜が終わると、倍賞家がある東京都北区の長屋の周りには、明と姉の千恵子を一目見ようと人だかりができた。

 「週末の朝起きると、家の横の崖上から100人ぐらいの人が家をのぞいているんです。話し声が聞こえるほどの距離から、僕らがご飯を食べているところやトイレに行くところ、全て見られていました」と明は振り返る。長屋には風呂がなく、「5人きょうだいでお金がかかるので、毎日銭湯には行けなかった。姉さんたちは大変だったと思う」。まもなく一家は、俳優の姉の活躍もあって、戸建てに引っ越した。

 そして、明が迎えた最後の夏。62年の第44回大会の東京大会決勝で、日大三は明の適時三塁打などで修徳を2―0で破る。日大三は春に続く甲子園出場を果たした。(五十嵐聖士郎)

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